#664 『天井の辺りを飛ぶ何か』
ワンルームのマンションを借り、引っ越しをした。だが引っ越しの初日から妙な具合なのである。
何故かその部屋にいると、どうにも落ち着かない。とても苛々として、目眩のような錯覚を感じるのだ。
それは寝ている時がとても顕著で、まるで酷い悪酔いをしたかのように、天井がぐるぐると回っているような感覚があった。
「これ……事故物件じゃないの?」と、部屋に招いた友人のA子はそう言った。
「いや、事故物件でもないし、ここで誰かが亡くなったと言う話も無いって言ってた」と私が伝えると、「そう……」とA子は言い淀み、黙って天井を見上げる。
「何かが、あの辺りをぐるぐると飛び回ってる」とA子。それは確かに私も感じる。目には見えないが、“何か”が私の視界に入らないよう、天井の周りを飛び回っている感があるのだ。
「蠅? いや、それともっと何か……」A子は薄気味悪そうな顔でそう呟く。結局、泊まって行く予定だったA子は、「ここいられない」と言い残してすぐに退散してしまった。
それから数日経ったある日の事だ。夜勤を終えて部屋へと帰り、昼近くになってベッドへと潜り込んだ。そしてその時に見た夢が、あまりにも不気味で衝撃的なものだった。
天井を、髪の毛が飛び回っていた。それはまるでウィッグのような黒髪で、生き物のように高速で天井付近を飛び回り、そしてその周囲を無数の蠅が付きまとっているのだ。
そしてその黒髪は次第に降下し始め、やがて床へとべちゃっと落ちて来ると、まるで床に粘着性の液体でも塗られているかのように、ねちゃねちゃと糸を引きながら黒髪がまた宙へと浮かび始める。
夢から覚めた私は、急いでトイレへと駆け込み、げぇげぇと胃液を吐いた。今見た夢は何事だと思いながら部屋へと戻るが、もちろん床には何も無い。
ふと気付く。この部屋はフローリングの床だと思っていたのだが、実際は木の板目が印刷されているだけの大きなマットだと言う事に。
じゃあこの下の床は何? 思って部屋の隅まで行ってマットの端をめくれば、その下には普通のフローリングの床が見える。
なぜ同じ床を二重に? 思って私は可能な限り家具を移動し、そのマットをめくり上げた。
そしてそこに現われた事実に、言葉を失う。床には人型の染みがあり、頭部にはまだ張り付いたまま残されている黒髪が、まばらにくっついていた。
――結局そこは、事故物件だったのである。
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