#660 『出戻り』
昭和の頃の話である。
その集落に住む老婦人が孤独死した。
婦人には嫁に出て行った娘が一人いるが、誰もその子の連絡先は知らない。
仕方無く近所の者同士で婦人の葬儀を終えたのだが、亡くなって一月ほどすると、例の娘がその集落にひょっこりと顔を出したのである。
娘は訳あって出戻る事になったのだが、母が亡くなっているとは知らなかったと、丁寧に一軒一軒礼をして回った。
さて、亡くなった婦人の代わりに娘がその家に住む事となったのだが、どうやら離婚でもして帰って来たらしい、夜ともなればその家から赤ん坊の泣き声が聞こえるのである。
当然、誰もがその娘を哀れんで、不便はないかと家を訪ねる。だが娘は頑なに「大丈夫だから」と、人の好意を断るのだ。
そうして数年が経ち、家から聞こえて来るのは泣き声ではなく、親子の楽しげな会話となる。
だが、その集落の中ではその娘に対し、あまりよろしくない噂が立ち始めていた。
それは、誰一人としてその娘の子供の姿を見た事が無いと言う事。過ぎた月日を数えればもう保育園等に子供を預けても良い頃だと言うのに、一歩たりとも子供を連れて外へと出た試しが無いのである。
ある晩、親子喧嘩でもしているのだろうか、その家からは娘の怒鳴り声と子供の泣き声が聞こえて来た。さすがにこれは宜しくないとばかりに、近所中の人達が娘の家へと押し掛けて、なだめようとした。だが――
子供はいないのである。どころかその娘、子供と喧嘩するどころか既に布団に入って寝ていたのだ。
「子供はどこ行った?」聞いても娘は、「なんの事ですか」と首を傾げるばかり。
これは虐待の疑いもあるなと家の中をあらためさせてもらったのだが、やはり子供の姿はどこにも無い。いやむしろ、その家に子供がいたであろう痕跡すら無い程に、娘一人が暮らして精一杯程度な家財道具しか置いてなかったのである。
「あんたらはなんの嫌味か」と、怒り出す娘。良く良く聞けば出戻った理由は、嫁いだ先で子供が産めなかったからこその離婚だったらしい。
だがその集落の人達は全員、その家から聞こえて来る子供の声を知っているのである。
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