#653 『のこぎり』

 昭和四十年代の頃の話である。

 東京、足立区千住。下町の裏通りに一軒、“ソネさん”と呼ばれる老婆がいた。

 ソネさんは子供相手の駄菓子屋を営んでおり、家の一角を店舗として、ひがな一日そこにいた。

 ソネさんは家族と呼べる身内が無く、ひっそりと自宅の片隅で息を引き取った後も、誰も訪ねては来なかった。

 葬儀はその周辺の人達で執り行った。

 さて、無事に葬儀は済んだものの今度は家をどうするかと言う話になる。さすがに人の家の土地なので、勝手に売却する訳にも行かない。だがせめて家の片付けぐらいはしておこうと言う事になり、有志を集めて大掃除を行った。

 そこで、それは出て来た――両刃の“のこぎり”である。

 それは店舗と家屋のちょうど境目に当たる、改築の際に出来た空間の中にあった。

 人が通るか通れないかぐらいの狭い廊下のような場所。その一番奥にそれが置かれていた。

 しかもそれは簡易的な祭壇のようなものの上に置かれてあり、のこぎりの取っ手部分には注連縄さえ結ばれていたと言う。

「ソネばあさん、そんなもん祀ってたんか?」と誰かが聞けば、「そうでもない」と、見付けた人は言った。

 なんでもその廊下にはうずたかく物が積まれており、しかもその品のどれもが恐ろしく古い年代物で、もしかしたらソネばあさんすらそののこぎりの存在は知らなかったのではと推測された。

「なら相当前の先祖が残したものか?」と言う疑問が出るが、それも少々苦しいのだと言う。

 なんでもそののこぎり、全く錆びも浮かばず綺麗なもので、しかもそれが置かれてあった祭壇の御神酒は、その中に残されたままだったと言う。

 祭壇に辿り着くには、積もったガラクタを掻き分けて行く以外に無い。だがその形跡はまるで無いのだ。どうにも矛盾が生じる話である。

 さて、そののこぎりの行方である。さすがに祀っていたのこぎりを捨てる訳にも行かない。仕方無く近所に住む大工にそれを見せた所、「業物ですね」と言って、それを引き受けてくれたと言う。

 のこぎりはかなり重宝されて使われたと聞く。

 怪談ではないが、なんとなく不思議な話。

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