#652 『横切る何か』
近年大流行りした新型のウィルスの影響で、どこの市町村でもワクチン接種の為の場所を設けるようになった。
そして私はその接種の為の仕事を受け持つ事となり、市で管理する多目的施設へと毎日出向していた。
場所はその施設の一階ロビー。ただ単にだだっ広い空間をパーティションで仕切り、そこに机とパソコンと電話を並べ、接種希望者の割り振りをする。
電話は毎日、ひっきりなしに掛かって来た。そしてクレームも多く、なかなか精神的にもきつい仕事であった。
とある日の事。一つの電話をようやく終わらせ、ふぅと溜め息を吐いて顔を上げたその瞬間。視界の隅で何かが動いた気配があった。
目をやる。高い天井のすぐ近くに、等間隔で並ぶ明かり取りの窓がある。確かにその窓の一つで、何かが動いたのだ。
でも一体何が? その窓の向こうは普通に外だし、その窓の高さはゆうに十メートル近くはあるのではないか。そんな場所に、鳥以外で何かが動く訳がない。そう思っていると、「Aさん」と、私を呼ぶ事がする。振り向いてみればそれは臨時で応援に来てくれているスタッフのUさんで、「何かありましたか?」と、私に聞くのである。
「いえ、別に――」と言い切る前に、「あの辺りを見てましたよね」と、Uさんは窓を指差す。
「Aさんにも見えるのかぁ。いや実は、なんかあそこの窓に人の影が見えるって言う人、続出していて」と、Uさん。
まさかと私は言い返すが、「本当なんです」と、今度は別のスタッフが話に割り込んで来た。
どうやら同じ体験をした人は相当に多いらしく、その日の午後はその話題で持ちきりになった。
私はその日の夕刻、そこの施設の管理長の所まで出向き、眉唾な話なのですがと前置きしておいてその窓の事を話そうとしたのだが――
「あぁ、あれね。昔からその話は有名だよ」と、管理長。
「でも、気にして見ちゃいけないよ。見てはいけないものを見ちゃうかも知れないからね」と続ける。
なんでも昔、その現象を気にしすぎて、その窓を凝視していた人がいるらしい。
「それで……見ちゃったんですか?」と聞けば、管理長は頷く。
「見ちゃいけなかったって言って、すぐに辞めちゃったんだけどね」
その話を聞いた少し後、スタッフの女性が二人、理由も話さず離職した。
窓の外に興味を持ち、少しでも時間が空けば、その窓を眺めていた二人であった。
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