#640 『あずまや』
大学時代からの友人である麻美と一緒に、とある大型の有料公園へと出掛けた時の事である。
早めの昼を済ませ、園内にある高台を目指していた所、急に雲行きが怪しくなって来た。
そうして頂上付近へと差し掛かった辺りで、とうとう雨がポツポツと降り始めて来た。
傘は持ってない。どうしようかと思っていると、少し先の方に四阿(あずまや)が見えて来た。公園施設ならばどこでも見掛ける、柱と屋根ばかりの簡素な建物である。
急いでそこへと逃げ込むと、そこには既に先客がいた。黒のセーターにグレーのスカートを履いた、細身の女性だ。
「間に合った」と、言った途端に雨脚が強くなる。屋根を打つ雨音が尋常ではない程に激しくなり、地面を打って跳ね返って来る雨粒が私達の靴を濡らそうとして来る。
当然、雨を避けようと私達は四阿の中央へと移動するのだが、先客である例の女性は依然としてその隅の方でぼんやりと座っているのだ。
「あの」と、私は声を掛ける。「そこいると濡れるから、こっち来てください」
言うとその女性はとても緩慢な動作でこちらを向く。何故かもう既に女性は全員ずぶ濡れで、前髪は全て顔を覆うぐらいに貼り付いている。
「私……ですか?」と聞き返され、「ハイ。どうぞこちらへ」と返事をすると、女性はその顔を覆う髪の中、そっと微笑んだような気がした。
結局女性はほんの少しだけこちらへと近付き、また座ってしまう。
友人は「無理に勧めなくていいよ」と私に言う。途端にまた雨脚が強まり、それはさながら台風の時の嵐のようであった。
「今日、こんな雨が降るなんて予報あったっけ?」聞かれて私は、「降水確率はゼロだったと思う」と答える。するとその幕のような雨の向こうから、歩いてこちらへと向かって来る人影が見えるではないか。
それは野暮ったいジャージの上下を着た、中年の男性であった。男性は四阿に踏み込むなり、「大変な目に合ったね」と私達に笑いかける。
どう言う意味だろうと思っていると、いつの間に雨が止んだのだろう、外は快晴そのものだった。
いつの間にか女性の姿は無くなっていた。
その中年男性はさきほどまでそこに座っていた筈の女性の元へと向かい、誰もいない空間に向かって指先で何かを“切る”動作を繰り返す。それを一通り繰り返した後、「きっとあなた達に声掛けられて嬉しかったんでしょう」と、男性は笑った。
結局、天気予報は当たっていた。雨などどこにも降っていなかったのである。
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