#636 『油槽のノック音』

 まだ僕が小学生だった頃の事だ。

 近所に廃墟となった工場があった。もちろん鉄柵で覆われて入れないようにはなっているのだが、隣の薮の中から入れる隙間があり、いつも僕らはそこから乗り込んでは遊んでいた。

 ある時、友人数人とそこで遊んでいると、工場裏手から血相を変えて友人の一人が飛んで来た。

 どうした? と言う間も無い。友人は、「人がいる!」と、僕らを呼びに来たのだ。

 仕方なくそれまでやっていた缶蹴りを止めて見に行けば、確かにその友人が慌てている通り、只事ではない状況だった。

 ーーガンガン、ガンガン!

 激しい打撃音と共に聞こえて来る幼い女の子の声。

「出してーっ!!!」

 それは裏手の大きな油槽の中から聞こえた。

 油槽は下手したら僕の勉強部屋よりも大きいのではと思うぐらいの規模で、長い事使われていないのか赤錆が全体に浮き上がっている。

「お願い出してーっ!」

 間違いなくその油槽の中だと理解した。

 だが僕らには出してあげる術が無い。油槽の上に上がれる梯子は砕けて落ちており、例え上がれたとしても僕らの腕力でその蓋が開けられるのかすら怪しい。

 だが放っておく訳にも行かない。なにしろ真夏なのだ。こんな閉鎖的な空間にいる人間が、長い時間耐えられる訳が無い。

 僕らは数人をそこに残して町の交番に走った。

 そして怒られる事を覚悟で全てを話し、警察官を工場まで呼ぶ事に成功した。

 だが僕らが駆け付けた頃には既に声も打撃音も聞こえなくなっており、その結末はなんとなく伺えたのだ。

 やがてパトカーや救急隊が駆け付け、僕らは連絡先だけ聞かれ家に帰された。

 翌日、その油槽から女の子の遺体が発見されると言うニュースが新聞に載ったらしいが、僕らは敢えてその内容に触れないようにしていた。

 それから十数年が経ち、僕らはそれなりに大人になった。

 すると友人の一人が例の少女の遺体の話をし始めたのだ。

 なんで今更とは思ったのだが、その友人曰く、詳しくは伝えられていないのだが、見付かった遺体は既に白骨化したものだったと聞いたらしいのだ。

 僕らは当時の友人達を集めて、再び同じ場所へと向かった。

 僕はその油槽の前に立ち、素手でその曹を殴り付けた。

 だが何の音もしない。曹の壁が厚すぎて、殴ろうが蹴ろうが、音など立たなかったのである。

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