#635 『ノック』

 付き合い始めたばかりの彼氏の家に泊まりに行った時の事。

 翌朝、「好きにしていていいから」と、彼氏は合鍵を置いて仕事へと出て行った。

 私はその言葉に甘えてもう少し寝る事にしたのだが、妙なノック音ですぐに目が覚める。

 すごく近くで鳴ってた――と、そんな確信があった。だがまたすぐに眠気がやって来て目を瞑るのだが、再び同じノック音で目が覚める。

 そんな繰り返しが何度かあり、私はもう眠るのを諦めてベッドから降りる。するとその背後――ブラインドを下ろした窓の外だ――から、はっきりとノック音が聞こえた。

 そっと窓辺に寄り、ブラインドを開く。だがもちろん、アパートメントの二階の外には誰もいない。

 隣の部屋の生活音かしらとブラインドを閉じるが、また少しすると同じ音が窓の外から聞こえるのだ。

 これはもう聞こえない振りをしようと決め込み、私は部屋の掃除を始める。

 良くまぁこれだけ乱雑に散らかせるものねと悪態を吐きつつ、散らばった音楽関係の雑誌やCD、その他要るのか要らないのかも判別出来ないものをせっせとゴミ袋の中に放り込んでいると、突然一際大きなノック音が窓から聞こえて来た。

 ちょっとだけ様子が違ったなとブラインドを引き上げるが、やはり外には誰もいない。――と同時に、背後でどさりと何かが崩れる音がした。

 見れば積み上がった本の山が崩れ、そこから流れ出たのであろう数枚の写真が床に散らばった。

 見れば過去に付き合っていたのであろう彼女らしき人が、彼と一緒に写っている写真ばかり。私はそれを見て思う所があり、今掃除したばかりの所に、思い出せる限りの再現性で、本やCDを散らかして行った。

 着替えを済ませ、部屋を出る直前、閉じたブラインドの外に人の形をした影を見た。

 施錠した後、鍵はポストに投函し、それっきり彼とは逢っていない。

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