#620 『仏花配達員』
語り手のHさんは埼玉の某所で娘さんと二人、生花店を営んでいる。その方のお話し。
――それは一本の電話からだった。「仏花を届けて欲しい」と言う依頼が入った。
依頼主は伊藤さんと言う方で、声だけ聞けば老婦人のようである。一応は配達もしているので、特に何も思わず引き受けた。
車で向かった先は、古びた日本家屋だった。玄関の戸を叩いて呼ぶのだが、応えはまるで無い。
仕方無く玄関を開ければ、中からはカビの匂いと線香の香りが漂って来る。
代金は茶封筒に入って玄関に置かれてあった。私は花束をそこに置くと、封筒を持ってすぐにその場を辞した。
さてその翌日、またしても伊藤さんからの依頼があった。
伊藤さんは丁寧なお礼の後に、これからは毎日届けて欲しいと頼むのだ。
私は、定休日以外ならいいですよと返事をすると、すぐに一ヶ月分の入金があった。以降、私は毎朝、その伊藤家に仏花を届けるようになった。
それから一ヶ月が過ぎた頃、再び伊藤さんから連絡が入った。内容は、届けた上に家の仏壇にそれを生けてくれと言うもの。
さすがにそれは断ったのだが、伊藤さんは破格の言い値で交渉して来る。正直それは、花の代金にしたらとんでもない額であった。
結局私は、「前払いなら」と条件を出したのだが、すぐにその値段で入金があった。
翌日から私は、その伊藤家に勝手に上がり込み、台所で花を生けては仏壇にお供えすると言う仕事をする事となった。
仏間は玄関から上がり、廊下の奥の方にあった。花を供え、二つに折った線香に火を灯し、手を合わせる。――すると隣の部屋から咳払いの声が聞こえるではないか。
「あの、すいません」と、声を掛けるが応えは無い。私はその襖の前で開けるかどうかで迷ったのだが、結局は開けずに家を出た。
そんな感じで更に一ヶ月が経った頃、いつも通りに配達に向かえば、伊藤家の前に数人の人影がある。どうやら近隣の住民の方らしく、私の顔を見るなり、「毎日ここで何をしてるの?」と問い詰める。
私が理由を話せば、誰もが首を傾げて、「ここはもう何年も前から人住んでないよ」と言うではないか。
そんな訳は無いと、奥の部屋から聞こえる咳払いの声の事を話せば、更に皆の顔は怪訝な表情となり、「ならその部屋開けてみよう」と言う事になった。
部屋は――枯れた仏花が山のように積み上げられていた。
さすがにこの仕事は断ろうと店へと戻ると、店番をしている娘が「毎日同じ時間にどこへ行ってるの」と咎め口調で聞いて来る。
「実はとんでもない破格の仕事で……」と、正直に全てを話すと、「そんな入金は無い」と娘は言う。
確認すれば、確かにそれは娘の言う通りであったのだが、一番最初に受け取った現金入りの茶封筒だけはちゃんと存在していたのである。
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