#617 『ハヤオ』

 Kさんと言う女性の、その友人の話。

 Kさんには学生の頃からの付き合いの友人がいる。名前をY子とする。

 ある時、KさんはY子から相談を受けた。内容は、授かった子供を堕ろしたいと言うもの。どうしたのと問い詰めると、「お腹の中の子が、“あの男”のような気がしてならない」とY子は言うのである。

 Y子には、かつて熱烈に言い寄っていた一人の男がいた。仮にその男の名前を“隼夫”とする。

 まだ当時は、ストーカーと言う名前が無かった時代である。なのでその隼夫は、単にねちっこく迫るだけの面倒な存在と言うだけで括られていた。

 Y子は隼夫を好きではなかったので、いつも適当にあしらっていた。だが隼夫は全く諦める事をせず、Y子を家の前で待ち構えていたり、職場まで押し掛けたりしていたそうである。

 ほとほと困り果てたY子の前に、突然別の男性が現われた。それが今のY子の旦那である。

 Y子はすがるようにしてその人と結婚を果たし、そしてめでたく第一子を身籠もった――その直後の事である。

「この子が出来てから、毎晩夢の中に隼夫が現われる」と、Y子は言うのだ。そしてその上、「この子は、もしかしたら“隼夫”かも知れない」と。

 どう言う事だと問い詰めると、Y子は渋々、一度だけ隼夫と関係を持ってしまった事を語った。

 一度だけでいいから。もうそれっきり付きまとわないから。もう二度と君の前に現われないから――と、そんな条件の下で関係を持ってしまったと言う。

「時期的に隼夫の子の可能性もあるの?」とKさんが聞くも、「無いと思う」とY子は答えるが、「絶対に有り得ないとも言い切れない」と言うのだ。

 どころかY子は、「むしろこのお腹の中にいるのが隼夫のような気がしてならない」と困った顔をする。どう言う事だと問い詰めると、Y子が妊娠を知ったのと、隼夫が自死をしたと言う報告を聞いたのが同じ日であったらしい。

「堕ろしたい」と、Y子は言う。そこでKさんは「早まるな」と、Y子を知人の女性霊能者の所に連れて行った。

 結果、霊能者の先生は笑って、「隼夫と言う男は、あなたに憑いてはいませんよ」と笑い、お腹の子もちゃんと旦那さんとの間に出来た子だと太鼓判を押してくれたのだ。

 だが、結局Y子はその子を堕ろした。先生に見てもらって以来、夢に隼夫が出て来る事は少なくなったが、それでもやはり相変わらずY子の傍から離れていないであろう感覚があるのだと言う。

 さて、それから少ししたある日の事。Kさんの元に、知人の霊能者さんから連絡が来た。

「私の見当違いだった」と詫び、Y子とその旦那を私の所に連れて来て欲しいと言うのだ。

 聞けばどうやらY子夫婦を街角で見掛けたらしい。「確かに隼夫は憑いている」と、彼女は言うのである。

 そうして霊能者の元を訪ねたY子なのだが、念入りに祓われたのは旦那の方。

「憑いていたのはこっちだ」と、その先生は言うのだ。

 そうして除霊は済んだのだが、それから間もなくしてY子は旦那と別れる事になった。

「除霊の後、旦那の態度が一変した」と、Y子は語る。何故かとんでもなく暴力的になり、それまであった優しさなど欠片も見られなくなったらしい。

 確かに旦那には、隼夫が憑いていたのだろう。「生前彼は、何があっても君を守るって言ってたのを思い出す」と、Y子は話す。

「なら隼夫っていい人だったんじゃないの?」とKさんが聞けば、「それでもやっぱり、私は彼の事を好きにはなれなかった」と、Y子。

 なかなか不憫な事である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る