#616 『夕暮れの狐』

 昭和初期の時代の話である。

 ――隣町にある縁者の家を訪ね、たらふくご馳走を頂いた帰りの事。ついつい長居をしてしまい、帰りの道中はきっと夜になってしまうだろうと予感された。

 当時は街灯はおろか、街道すらも未舗装である。それはそれは歩きにくい事この上無い。

 しかも当時の私はまだ中学に上がったばかりで、手には無理に持たされた手土産で一杯と言う状態。無事に帰り着ければいいなぁと思いながら帰路を急いでいると、途中にある峠道でとうとう夕暮れとなってしまった。

 呑気な話ではあるが、その峠の頂上で見る夕暮れは子供心にもやけに美しく見え、しばらくの間その場所で立ち尽くしていた。

 さぁ、もう夜になるぞと思い再び帰り道を急いだ。だが不思議な事にその夕暮れはいつまでも暮れず、オレンジ色の光を投げ掛けながら私が下山をするまで続いていたのだ。

 やがて麓へと辿り着く。後はもう夜道だろうが何だろうが、勝手知ったる地元の町である。這ってでも家に帰り着ける自信はあった。だがその夕暮れは何故か自宅のすぐ近くへと来るまで沈む事なく、私と共にあったのだ。

 家へと帰れば、両親や兄弟達が心配そうな顔で出迎えてくれた。

 驚いた事に、時刻は既に夜の十一時を回っており、いつもならば家族の誰もが寝静まっている頃である。要するに私の帰宅は、想像以上に遅かったのだ。

 後日、私はその時の夕暮れの話を両親にした。すると両親共々、「それは狐火だろう」と言うのである。

 そんな馬鹿な――とも言い切れなかった。縁者の家で持たされた手土産の中、何故か干した鹿の肉と、一升瓶の酒の中身だけが無くなっていたのだ。

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