#598 『オオタケさん』

 とある地方で、スナックを経営している女性のお話し。

 ――その晩は、閉店だと言っても聞かず延々と飲み続ける客がいたせいで、帰りが明け方近くとなってしまった。

 店から家までは車で約二十分ほど。街の繁華街を抜けると、ぽつんぽつんと民家が点在するばかりの田舎道。私はとても疲れて眠かったのだが、落ちて来る瞼を懸命にこじ開けて運転をしていると、速度が少々遅かったのか、背後から来る車がぺったりと張り付き、ハイビームで照らしながら右に左にと蛇行しながら煽って来るのだ。

 嫌だなぁと思い、私は道を譲った。路肩に車を寄せて停止をするのだが、何故か後続車は追い抜かない。

 やけにたちの悪いドライバーだなと思いバックミラーを覗き込むのだが、不思議とその車体が見えない。

 だが、振り向けばヘッドライトは見える。相変わらずの眩しいハイビームで、私の車を照らしている。

 ふと気付く。これは車のライトではないなと。車ならば左右に二つ、ライトがある筈。だが背後の明かりは一つしか無い。

 ならばバイクか? だが、微かに開けている窓の外からは、バイク特有の排気音が聞こえて来ない。どころか――

 静か過ぎると、私は思った。私の車のエンジン音は聞こえるのに、なんとなく背後からの音は何も聞こえて来ないように感じるのだ。

 嫌だと、咄嗟に思った。逃げなきゃと感じ、車のギアを入れる。それとほぼ同時だった。背後の明かりがふっと消え、そして私の車が僅かばかり沈み込んだ。そう、それはまるで、後部座席に“誰か”が座ったかのように。

 慌てて車を出す。さほど暑くもないのに、どっと汗が噴きこぼれる。

 バックミラーは見る事が出来なかった。何となくだがそこに“誰か”を見てしまうような気がしたからだ。

 家へと到着する。バックで車庫へと入れ、慌ててドアを開け、外へと飛び出る。するとどこからか、「おーい」と声が掛かった。

“誰か”は、そこにいた。家の横から山側へと続く坂道を登る作業服姿の中年男性。その男性が帽子を持ち上げ、私に向かって手を振りながら微笑んでいる。

 それは、知っている人だった。だが咄嗟に名前が出て来ない。どころかどこの誰だったのかすら思い出せない。それでも知っている人だと言う理屈から、私もまた手を挙げて応じたのだ。

 男性は満足した顔で坂道を登って行った。それからじわじわと恐怖が広がって来た。

 あれはオオタケさんだ。山の向こうの花火工場に勤める職人さんで、良く私の店にも飲みに来てくれていた。そう、数年前に不慮の引火で工場ごと吹き飛ぶ事故が起きるまでは。

 陽が昇り朝になる。結局一睡も出来なかった私は、オオタケさんの家を訪ねる事にした。

 彼の家は、私の家系の遠縁に当たる。なので全くの赤の他人では無い。したがって突然の訪問に対しても、彼の奥さんは気軽に家の中へと招いてくれた。

 仏壇に手を合わせ、私はさりげなく聞いてみる。

「彼のお墓って、どこにあるんですか?」

 するとオオタケさんの奥さんは笑いながら、「何言ってんの、あんたの家の横の墓でしょう」と言う。

 なるほど、彼はあの時、自分自身の墓参りへと向かったのだろう。

 墓は私の家の横から続く、坂道の上の方にあった。

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