#596 『亀姫』

 前夜二話の続きである。前作は陽依さんの話であったが、今作はその友人の育子さんの談である。

 ――あの出来事から約十年と言う時間が経った。

 陽依とは今も交流が続いているが、お互いにもう家庭を持っているので、独身時代のような身軽さで逢う事は少なくなっていた。

 ある時、陽依からの電話で、「旦那と一緒に泊まりに来なよ」と言われた。そしてその週末、私は旦那と五歳になる長男を連れて彼女の家へと向かった。

 陽依には七歳になる女の子がいる。もちろんウチの息子とはとても仲が良い。

 お互いの話は尽きず、あっと言う間に夜となる。子供二人を寝かしつけ、大人四人はビールを次々と空けながら他愛も無い話を続けていた。

 それはとても些細な事だった。何かの話の弾みで、突然あの時の不可思議な出来事の話となった。

 私は咄嗟に「しまった」と思い話題を変えようとしたが、既にお互いの旦那達がその話に食い付いてしまっていた。

「いいよ、分かった」と私は頷き、あの時話せなかった私側の体験を陽依に語った。

 ――係員の男性が、「ちょっと待っててもらえますか」と、駆け出して行く。そうして私達四人はそこに取り残された。

「声がする」と、最初に反応したのは陽依だった。

「どうしたの」と聞けば、「お父さんの声がする」と、陽依はふらふらと例の“鶴の間”へと向かう。

「待って」の声は出なかった。突然両側から二人の女性の手が伸びて来て、私をしっかりと制止するのだ。

 陽依の姿が部屋の中へと消える。「何するんですか」と私が声を荒げると、女性二人は顔に笑みを浮かべながら、「そう言う宿命だから」と言うのだ。

 そこに係員の男性が懐中電灯を片手に戻って来る。そしてその様子を見て、「何してるんですか?」と怒り出す。

 やがてその女性達と男性係員さんとで口論が始まる。だがその内容はまるで噛み合わない。

 女性達は「約束が違う」だの、「いつまで経っても代わりが来ない」だのと笑いながら言うし、係員さんは、「出しゃばるな」だの、「お前らの来る場所じゃない」とヒステリックに叫ぶ。

 私は陽依の安否だけが気掛かりで、部屋の奥に向かって彼女の名前を叫び続ける。やがてその努力の甲斐あり、どこからか陽依の返事が聞こえて来た。

 途端、例の女性二人が血相を変えて部屋の中へと飛び込んで行く。私はそれを止めようとしたのだが、係員さんが「いいから」とそれを制止する。

「私から離れずにいてください」と、係員さんは懐中電灯の明かりを点けて部屋の中へと踏み込む。そしてやがて、陽依の姿が部屋の奥から続く廊下の先から現われた。

 ――「覚えてる?」と、私は聞いた。「例のあの女達、着ている服が和服だったでしょう?」

 するとそこでようやく気付いたかのように、「あぁ」と陽依が開いた口を手で押さえた。

 それから半月後、私達二家族は、例の武家屋敷の前に立つ。全員が同様の意見で、「もう一度その屋敷を見に行こう」と決まったのだ。

 だが、長い月日がそうさせたのか、それとも私達の記憶がおかしかったのか。武家屋敷の内部は外から見た程度の狭さで、僅か十分にも満たずぐるりと一周して元の玄関へと戻ってしまうのだ。もちろん順路から外れて迷う余地も無く、前に見た“鶴の間”など存在すらもしていなかった。

 但し、前に逢った中年の係員の男性はいた。だが私と陽依とで当時の事を聞くのだが、ひたすらに首を傾げて「存じません」で済まされた。

 これはその後に調べて分かった事だが、陽依の遠い遠い先祖に、この土地で生まれ育った人がいると言う事と、その武家屋敷には大昔、幼少期の頃に鶴姫、亀姫と呼ばれた姉妹がいたと言う事が分かった。

 もちろん何一つとして、あの時の出来事に結び付けられる事ではない。

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