#592~593 『死者の顔』

 T県に住むYさんと言う女性からの投稿である。

 ――私と父は、遠方に住む弟からの電話で母が亡くなったと聞かされ、急いで元の家へと急いだ。

 かつてその家は、両親と私達兄弟三人が一緒に暮らしていた家だった。だが次女の真佐美が不慮の事故で亡くなった後、それがきっかけで両親は離婚。私は父と二人きりで家を出て、別の場所で暮らすようになったのである。

 家には五歳年下の弟、洋一がいた。もう既に高校二年生なのだが、かなりの狼狽振りで私に電話を掛けて来たのだ。

 母の死因は自死だった。庭の隅にあるガレージの中で首を括ってしまったらしい。

 葬儀は三人で執り行う事となった。だが弟の取り乱し方が異常で、出来る事ならば夜だけはこの家にいたくないと悲壮な顔でそう訴えるのだ。

 同時に弟は、今後は私達と一緒に住みたい。どうか僕だけをここに残して行かないで欲しいと言う。もちろん父は弟を引き取るつもりではいた。

 だがこの狼狽え振りは何なのだろう。昔はそれなりにやんちゃだった弟なのだが、今ではすっかり臆病者となってしまったようにしか感じられない。

 さて、その夜。かつての私の自室は洋一に取られてしまっており、もう無い。仕方無く私は亡くなった妹――真佐美の部屋を使う事にしたのだが、洋一は酷い剣幕でそれを止めるのである。

 仕方無く私達三人は、洋一の部屋で眠る事にした。だがその晩、家中で生木を裂くような物音や、人の上げる拍手やうめき声、何か重い物でも引き摺るような音がひっきりなしに続き、ろくに眠る事が出来なかったのだ。

「あの音が原因?」と、その翌朝に聞けば、洋一は「うん」と頷く。どうやらその物音のせいで母がノイローゼとなり、あんな亡くなり方をしたのではないかと言う事だった。

 母の葬儀は滞りなく終わった。火葬も済ませ、納骨も終わり、後は家を畳むだけ。

 父はそれほど長く会社を休んではいられないので、一足先に家へと戻り、またその次の週末に来ると言い残して私を家に置いて行った。幸いな事に私自身は大学を卒業し、適当にアルバイトをしていただけなので、時間の余裕はあったのだ。

 さて、残された私と弟は家の片付けと引っ越し準備をしなければならないのだが、何故か弟は病的なまでにその家を怖がり、夜だけはここにいたくないと言うのだ。

「なら友達の家にでも泊まらせてもらい」と私が言うと、弟はどうしても私も一緒に連れて行こうとするのである。

「姉ちゃんはいいから、行って来い」と、面倒臭くなった私は半ば無理矢理に弟を追い出す。そうして迎えた一人きりの夜。深夜近くまで家中の片付けをしていた私は、廊下を走る足音でふと我に返る。

「洋一?」声を掛けるが応えは無い。そっと廊下に顔を出してみるが、やはり誰もいない。

 気のせいかと思い再び作業へと戻ると、今しがたまで綺麗に積んであったアルバムが物音一つ立てずに散らばっている。

 深夜の一時が過ぎた頃、そろそろお風呂に入って寝ようとバスタブに湯を溜めるのだが、いざ入ろうとするとお湯はいつの間にか冷水に変わっている。

 仕方無く風呂はやめて寝ようとすると、またしても昨夜同様、生木の裂ける音やら引き摺る物音が聞こえ始め、ろくに寝付けない。

“何かあるな”と悟った私は、寝るのを諦め家中を徘徊し、その物音の正体を突き止める事にした。

 まずは一番怪しい一階の仏間から。だがそこは意外にも、他の部屋よりも空気が澄んでいるような気がした。

 一応仏壇に向かって手を合わせ、“守ってください”とお祈りをした後、他の部屋を見て回る。

 物置部屋に、母の寝室。居間に台所、浴室、洗面所にトイレ。一通り階下を見た後、今度は二階へと移動する。

 だが二階はたったの二部屋しかない。洋一の部屋は既に見ているのだから、残りは一つ、妹の真佐美の部屋だけだ。私はその部屋の前に立ち、「お姉ちゃん、入るよ」と小声で言って、ドアを開けた。

 途端、ぶわっと全身が粟立った。慌ててドアを閉め、元凶はここだと瞬時に悟る。

 そう言えば弟は何度も、この部屋に入るのを止めていたではないか。どうして今まで気付かずにいたのだろうと私は悔やみ、その晩は一睡もせずに仏間へと閉じこもって手を合わせていた。

 翌朝、陽が昇ると同時に洋一が帰って来た。

「姉ちゃん、大丈夫?」と聞かれたが、とても大丈夫などとは答えられない。私は弟の手を取り、「真佐美の部屋に行くよ」と、引っ張った。

 妹の真佐美は七年前の夏、不慮の事故で亡くなった。当時は確か九歳ぐらいだったと思う。

 父と私と弟の三人で海へと遊びに行き、戻って来たら真佐美が亡くなっていたのである。

 以降、母は自分の不始末だと悲しみ、泣き暮れていた。その後、父と母との間で亀裂が入ったのであろう離婚が決まり、私は父側に付いて出て行ったのだ。

 そんな事を思い出しつつ、昇る朝日の中で妹の部屋を開けた。そして私はその光景を見て驚いた。部屋は全く当時のままで、つい昨日まで九歳の真佐美がそこにいたのではないかと勘違いしてしまうぐらいに、綺麗な状態でそこにあったのだ。

「なんでこのまんまなのよ」と弟に聞けば、「手が出せなかった」と、訳の分からない答えが返って来る。だが確実にこの家の異変はここで起きていると理解した私は、何がなんでもその原因を突き止めようと部屋中の物を引っ張り出した。

 最初はおっかなびっくりだった洋一も、何かを決心したかのように積極的に部屋の物を漁り始める。だが結局、怪しいものは何一つとして出て来ない。

「分からないなぁ」と、腰をさすりながら立ち上がると、真佐美のベッドの枕元の壁に飾られた粘土細工のお面が目に留まる。それはやけに不格好なお面で、おそらくは真佐美が学校の工作か何かで作ったのだろう、目の部分だけが空いている、ほとんどのっぺらぼうのような物であった。

 私はそれがまるで意味の無い行為だと分かっていながらも、そのお面を壁から外して裏返した。途端、私は全てを悟ってそれを放り投げた。

 ベッドの上に落ちる面。そしてそれを見て洋一も意味が分かったのか、大きな悲鳴を上げて部屋から飛び出して行った。

 お面の裏側には、子供のままでその成長を止めた、妹の顔そのものがあった。

 おそらくは直接、真佐美の顔に粘土を貼り付けて作ったものなのだろう。そしてその面には“目”の部分しか隙間が無い以上、生きている人間に貼り付けて取ったお面ではない。要するに、“デスマスク”と言うものがそれなのだ。

 お面は、すぐに供養してもらった。そしてその週末、家に戻って来た父にあらためて、妹の真佐美の死因を尋ねた。

 妹は、自分だけが海に行けない悔しさからか、自宅のお風呂場で海水浴ごっこをしたらしく、心臓麻痺で溺死していたと言う。

「もしかしたらその直後に、そのお面を作ったんじゃないかなぁ」と、父は言う。

 それが可能だった人間はたった一人、妹と一緒に留守番をしていた母だけなのである。

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