#591 『緞帳(どんちょう)』
とある市民音楽祭での出来事である。
三組目の合唱団の出番が終わり、出演者全員がステージへと登ってお客さん達に挨拶をする場面となった。
客は少なく、ステージ上から見ても僅かに五十人程がいる程度。
最後は全員で手を繋ぎ、客席に向かって礼をした所で緞帳が下りると言う手順となっていた。
私はそのステージの最前列にいた。深々とおじぎをすると頭上で装置が動き出す音がしたのだが、完全に緞帳が降りきるまで顔を上げてはいけない事となっていたため、しばらくはその窮屈な姿勢のまま動かずにいたのだ。
さて、もう間もなく緞帳が下り終わるだろうと思う辺りで、突然客席からどよめくような声が聞こえて来た。だが何が起こっているのかはステージの上の誰もが確かめられない。“降りきるまで顔を上げない”と言うルールが、全員を縛っていたのだ。
やがてどよめきは悲鳴に変わった。こうなると流石に、呑気に頭を下げている場合でも無くなる。ハッとして顔を上げればもう緞帳が閉じる直前で、その向こうに顔を強張らせるお客さん達の顔が見えた。
「何があったの?」と、閉じたステージの上で皆が騒ぎ始める。だがその全容を知る者は誰もいない。
舞台袖へと移ればようやく何があったのかが聞こえて来た。なんでも降りる直前の緞帳で、首を挟んだ“誰か”がいたとの事。
私達は慌てて客席へと移ったのだが、何故か場内は真っ暗で、我先にと出口を求めてお客さん方が逃げ惑っていたのだ。
「落ち着いて移動してくださーい!」と、場内のアナウンスが流れる。やがて全員が出て行ったのだろうタイミングで、「照明点けます」と声が流れた。
ふと明るくなったステージの上、確かに緞帳の前には“何か”が転がっていた。
だがそれは人も無ければ首でも無い。お客さんの誰かが持ち込んだのだろう花束であった。
その時の様子を一部始終見ていた照明さんは、その時の様子をこう語った。
緞帳が半ばまで降りた頃、頭を下げていた出演者の一人が突然その緞帳の真下へと走り込み、立ち塞がったと言うのだ。
当然緞帳はその人の頭の上に降りて来る。そしてその重みを受け止め、その人はその真下で倒れ込む。やがて緞帳は完全に降り切るのだが、その人はまるでギロチンよろしく首だけを緞帳の外へと晒し、横たわった。
それは客席の誰もが見ていた事実らしい。だがステージの内側にいた我々は、その倒れ込んだ“誰か”の身体部分を、誰一人として見てはいないのである。
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