#588 『工房』
前夜、二話に渡ってお送りさせていただいたユタ州出身のウィルさんの体験談であったが、なんでもそのウィルさん、自身が体験したお話し以外にもそれととても似通った出来事を従兄弟から聞いた事があると言う。
今回はその従兄弟が体験したお話し。
――会社の同僚に、とても仲の良い友人いた。名前をティオと言った。
ティオとは帰宅後、良く近所のバーで逢っていた。要するに僕にとっては飲み仲間である。
だがある時を境にティオは店に全く来なくなってしまった。どころか会社も休みがちとなり、なかなか逢う機会も減って行ってしまった。
そこで僕は彼の家を訪ねてみた。だがノックをしてもまるで返事は無い。
試しにドアノブを回してみる。――開いた。少しだけ僕は迷ったが、ドアを開けて中へと踏み込む。
ティオはいなかった。だが先程までそこにいたであろう気配はあった。
部屋の真ん中に描き掛けの絵があった。イーゼルに立て掛けられた女性の絵だ。
彼はそんな趣味があったのかと僕は驚く。なにしろ今まで一度も、彼の口から芸術的な要素のある話など聞いた事がなかったからだ。
そこであらためて気付いたのだが、部屋の壁は彼が描いたのであろう絵で埋め尽くされていた。しかもそれは全て同一の女性の絵で、おそらくは東洋人だろう長い黒髪の綺麗な女性であった。
しかもその絵のどれもがおそろしく上手く、その女性の裸婦像は美しさを通り越して艶めかしい程である。
「誰?」と、突然背後から声が掛かる。振り返ればそこには買い物袋を手にしたティオがいた。
彼は僕の顔を見て表情を変える。「なんで勝手に入った!」と怒鳴ると、買い物袋を放り出し、「絵を見たのか?」と問い詰める。そして僕が正直に見た事を認めて謝ると、ティオは両手で顔を覆い、自身の後悔だろう下卑た言葉を吐き、足で床を踏み鳴らす。
「出て行ってくれ」と言われ、僕は仕方無く玄関へと向かうが、ドアを閉める直前、何故かティオは「済まなかった」と僕に謝るのだ。
それから数日経ち、僕は休日の街角でとんでもない光景を目の当たりにする。それはティオが絵に描き続けている例の東洋人の女性が、僕の真横を通り過ぎてとある男性の元へと駆け寄って行くと言う一場面。しかもその二人は恋人同士なのだろうか、親密に手を繋いで立ち去って行くではないか。
僕は慌ててティオの家へと向かう。そして今しがた見た事を彼に話せば、ティオは深い溜め息を吐いてもう一度、「済まなかった」と僕に謝るのだ。
後日、週明けの月曜日。いつも通りに出社をすると、ティオが会社を辞めると連絡して来た事を知る。
昨日逢ったばかりなのにどうしたのだろうと、夜に彼の家へと訪ねると、既に彼は全ての引っ越しを終えて人知れずどこかへと消えてしまっていたのだ。
ただ、部屋には絵が残されていた。それは部屋の中央に置かれた一枚の絵。前に見た書き掛けの絵の完成版である。
絵には彼の字で、メッセージが書かれていた。それはなんと僕宛てで、“この女を見たら逃げろ”と、赤い絵の具でそう書かれていたのだ。
――と言う話を、ウィルさんは従兄弟から聞いたそうである。
そしてその従兄弟は、「当分逢えない」と彼に言い残し、車に乗り込んだそうである。
その車の助手席には布をかぶった“何か”が乗っており、ウィルさんはなんとなくそれが、一枚の絵であるように思えた。
それっきりウィルさんはその従兄弟とは逢っていない。
彼が例の青い家と越す、数年前の出来事だと言う。
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