#584 『消えた観客』
母が参加している市内のハンドベル同好会で、発表会がひらかれる事になったらしい。
客はほとんど来ないだろうから、せめてあんたには来て欲しいと頼まれた。一応その発表会の日は空いているものの、場所を聞けば市内の市民会館で、しかも約千人ほどが入れる大ホールなのだと言う。
何でそんな大きな所を借りたのだと聞けば、当日はそこしか空いておらず、しかも料金は市民割引きで無料だと言うのでそこに決めたらしい。
当日、仕方無く私は会館へと向かった。すると他のホールで何か大きなイベントでもやっているのか、会館の前は人でごった返している。
混んでるなぁと思いながら待っていると、客は全員、大ホールの中へと吸い込まれて行くではないか。
どこがほとんど客は来ないだ。大盛況じゃん――などと文句を言いつつ、私もその最後尾からホールの中へと入って行けば――
そこには誰の姿も無かった。ステージの上も、そして客席にも。
あれ? 今までごった返していたあの人達はどこに? 思っていると頭上で開演のブザーが鳴り、ステージの上に現われた素人同然のママさん方がハンドベルを鳴らして演奏を始めた。
周りを見渡せば本当に客は私一人。僅か四十分程度の演奏中、私は妙な悪寒で周りを見回すばかりだった。
終了後、私は母の元に行く気にもなれず急いでそのホールを出た。
一体あの人達って何だったのだろう。思った瞬間、背後でホールのドアが一斉に開いた音がした。
私は振り向く事もせず、そのまま走って家まで帰った。
その日の晩、母が夕食を食べながら、演奏後に仲間と些細な揉め事になったと話し始める。
なんでも同好会のメンバーの中の数人が、「満員だったね」と冗談を言っていたのが原因らしい。
「あんた一人しかいなかったのにね」
母は言うが、私はそれに対し、「そうだね」と即答する事が出来なかった。
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