#576 『姉の生き霊』

 当時、私がまだ高校生だった頃の話だ。

 家に帰って着替えを済ませ、何かおやつでもないかと一階に降り台所へと向かえば、なんとそこにはいる筈のない姉の姿があったのだ。

 流し台に向かい、こちらに背を向けて立つ姉。いる筈が無い。今は彼氏と一緒に台湾旅行へと行っている筈なのだから。

 一瞬で悟った。向こうで姉に何かがあったと。すると突然背後から、大昔に亡くなった祖母の声がする。「早く引っ張ってあげなさい」と。

 私は祖母の言う事を聞き、頭一つ分大きい姉の背中を抱くようにして、懸命に居間の方まで引き摺った。

 姉は抵抗しなかった。されるがままと言うか、まるで身動き一つ出来ないようだった。

 居間へと着けば姉はまるで寒天かコンニャクのように「でろん」と床に倒れ込む。だが不思議な事に、仰向けに倒れ込んだ筈なのだが、姉の顔の部分は後頭部で、つまりは顔が無いまま後頭部がぐるりと一周しているのである。

 助けてあげたいが、助ける術を持たない。仕方無くその場に寝かせておく事にしたのだが、これを母に見せたらどれだけ驚くだろうと心配になった。だが――

「今日は実家に泊まるから、あんたもおいで」と、母から電話が来た。

 私は迷った挙げ句、「私は行かない」と返事をした。なにしろ姉の様子が心配だったのだ。

 夜、居間でレレビを見つつ姉の様子を伺う。姉は未だそこにおり、身動き一つ取らない。

 嫌な想像ばかりが働く。向こうにいる姉が何者かに捕まり、縛られたまま転がされているのではないかと。

 翌朝も姉はそこにいた。心残りではあるが私も学校に行かなければならない。「ちょっと待っててね」と声を掛けて出掛けたが、帰ってみるともう既に姉の姿は無く、帰宅した母が一人いるだけ。

「なんか……変わった事無かった?」と母に聞けば、「何が?」と煎餅を食べながら聞き返される。ならば姉は母が来る前に消えたのだとは理解出来たのだが、こうなると逆に姉の安否の方が心配になって来る。

 だがそれから数日後、姉は何事も無かったかのように帰って来た。

「何も無かったの?」聞くが姉は至って呑気に、「何が?」と聞く。

「危ない目に遭ったとか?」

「いや、別に何も無いんだけど――」と、姉はそんな私の対応に疑問を持った様子で、「あんたこそ何があった?」とかなり執拗に聞いて来るのだ。

 そこで私は先日の出来事を素直に話せば、姉の表情が一瞬で強張り、「ちょっと待って」と電話に飛び付き、一体誰に話しているのか「また出ました」と、伝え始めた。

「一体なんなの?」聞くが姉は答えない。そこに母が加わり、「あんたここにいない方がいいから」と、容赦無く家を追い出された。

「説明して」と私は食い下がるが、姉も母も答えてくれない。「終わったら連絡するから」と無理矢理に実家へと向かわされ、そして私がようやく家に帰れたのは、それから一週間後の事だった。

 あれからおかしな事は起こってはいないのだが、結局私だけ、“あれ”が何なのかを教えてもらっていないのである。

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