#564 『納屋』

 若かりし頃の事。移り住んだ東北の田舎で住む場所に困り、格安の納屋を借りてそこで寝泊まりをした時があった。

 古めかしい木造の母屋があり、そこから少しだけ離れて納屋がある。

 母屋の方はまだ住人がいるとの事だが、理由あってここしばらくは留守が続いているらしい。但し納屋の方は既に土地ごと売却されているので、こうして貸し出されているのだと言う。

 納屋の中にはまだ様々なものが並んでいた。主に農機具ばかりだが、奥の方へと行けば母屋でしまい切れなくなったものなのだろう、箪笥や長持、真空管のテレビに木桶の風呂など、もうどう考えても使わないだろうものばかりが詰め込まれていた。

 さて、そこで生活するにあたって問題は色々とあったが、一番の問題は納屋の中で起きる様々な謎の物音と、不可解な現象だった。

 納屋の中にいれば分かるのだが、そこは何故か一日中うるさい。絶えず何か物音が鳴っているのである。

 大抵は“家鳴り”と呼ばれる生木を裂くような音なのだが、それ以外にも金属音や風の音、そしてどう聞いても人のうなり声にしか聞こえないような、妙なものまであった。

 不可解な現象の方は、とにかく良く何かが落ちると言う事。例えば壁に掛かった埃まみれの編み笠とか、梁から下がっている錆びた鍬やつるはしなど。時には枕元に置いたビールの空き缶が一人でにすっ飛んで壁にぶつかり転げた事もあった。

 時には深夜に納屋の周りを誰かが歩いているような足音が聞こえた時もあり、さすがにその時は物騒な事になるのではと肝を冷やしたものだった。

 ある日の事だった。表の通りに人の姿があった。それはどうやら町の住民の人らしい。俺が「なんか用事か」と聞けば、「こなおっかねぇ(怖い)とこ越して来たんはお前か」と、その男は訛りの酷い口調でそう聞いた。

「おっかねぇとはどう言う事だ」尚も聞けば、「色々なもん、出ようが」と笑う。

 意味は分からないが、なんとなく腑に落ちる事もある。話が聞きたいとその男を納屋へと招き入れると、「おらぁ幽霊屋敷なば初めてだな」と、半ば面白がるような顔をした。

 聞けばどうやら母屋に住んでいた人は、あまりの怪奇現象の多さに辟易し、家を捨てて出て行ったと言う事。

「ならここよりも母屋の方が怖いのか」言うと男は、「まだ向こうは行ってねぇのか」と聞く。

 なら明日、早朝に中に入って見て回ろうと、その男と約束して別れた。だが結局、男は夜まで待っても来なかった。

 更にその翌日、俺はその話が気になって、母屋の周辺を歩いて回る事にした。しかしそれだけでも充分に、母屋の異常さが理解出来た。なにしろ玄関はもちろんの事、勝手口や窓、閉まった雨戸にまでお札(ふだ)が貼り付けられているのだ。

 こりゃあ確かに何かがあるな。俺はそう確信する。但し一人で中に入って見て回る勇気は無い。どうしたものかと悩んだ挙げ句、俺は近所に住む家々を回り、あの家で一体何があったのかを聞いて回る事にした。

 だが、どこに行っても話の内容は曖昧で、ただ「お化けが出る」と言った程度のもの。

 詳しい部分は無理かと諦めかけていた頃、あの家の遠縁だと言う人に行き着き、かなり具体性のある話を聞く事が出来た。なんでも何十年か前に、そこの主である“元蔵(げんぞう)”と言う男性が失踪し、それ以来あの家の中で奇妙な事ばかりが起こるようになったと言う話。

「多分なぁ、元蔵さんもう死んでるはぁ。そんで夜な夜な、自分ば殺した奴探してんのよ」

 なんとなく、その説明で納得出来た。その元蔵と言う男、今も尚行方不明のまま遺体も何も見付かっていないだそうである。

 納屋へと帰る。すると先日来ていたあの男が家の前に立っていて、「来れなくてすまん」と詫びた。

「どうした」聞けば男は、「あの晩、夢ば見た」と俺にそう告げる。そして今日はその夢の内容が本当かどうかを確かめに来たと言う。

「何を確かめる」言うと男はずかずかと納屋の中へと踏み込んで行き、俺がベッド代わりにしている長持の上の布団を剥ぎ取り、深呼吸をしてからその長持の蓋を開けた。

 微かに、異臭がした。そして俺達は顔をしかめた。そこに遺体こそは入っていなかったものの、その内側にこびりついた黒い染みは、間違いなく体液が染み出たのだろう人の形をしていたのだ。

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