#561 『夜から戻れなくなった話・弐』

 二夜に渡って、夜の世界から戻れなくなった人の体験談を掲載する。その二夜目。

 当時大学生だったIさんと言う男性のお話し。

 ――その頃の僕は天体観測が唯一の趣味で、大学のサークルも天文部に所属していた。

 時には先輩達と一緒に望遠鏡と寝袋を担ぎ、電車に乗っての遠出などもあった。

 二年になった初夏の頃、滅多に逢う事のないF先輩と部室で遭遇した。その時、部室には僕とF先輩の二人だけ。先輩は少しだけ照れたように、「当分ここには来ないから」と笑うのだ。

 どう言う意味ですかと聞けば、先輩は休学届けを出しに来たのだと言う。

「しばらく遠出するんで」と、先輩は嬉しそうな顔をする。

 旅行か何かですかと聞く僕に、先輩は少しだけ迷った挙げ句、一枚の写真を見せてくれた。

 僕はその一瞬で引き込まれた。大して上手くもない素人写真なのだが、そこに写る満天の星空は、呼吸さえ忘れる程の美しさだったのだ。

「ここに行くんだ」と笑う先輩に、「ここってどこですか?」と僕は聞き返す。だが先輩は笑って誤魔化すだけで絶対に教えてくれない。

 帰り道、先程の写真が忘れられず、僕はずっとその事ばかりを考え続けていた。そしてその晩、夢を見た。それはまさに先輩の見せてくれた写真の中の夜空で、僕は直接地面に転がり、飽きもせずにその星空を眺めているだけ。そんな夢だった。

 翌朝、僕はすぐに部の人達に連絡を取り、F先輩の住所を聞き出す事に成功した。すぐに先輩の家へと向かえば、間一髪で先輩はアパートを引き払い、出掛ける準備をしている所だった。

「もう一回だけ、あの写真を見せてもらえませんか?」と詰め寄る僕に、先輩は苦笑しながら、「お前にやるよ」と、その写真をくれたのだ。

 それからと言うもの、暇な時間さえあればその写真を眺める日々が続いた。

 夢は毎晩見た。いつもいつも同じ、その写真の中の夜空を眺め続けるだけの夢。そしていつしか僕は、「この場所はどこなのだろう」と言う好奇心に負け、写真を眺める日々から、写真の場所を探す日々へと変わって行った。

 ヒントはその写真の中にしか無い。写っているのは夏の星座が登る星空と、その下に見える町の夜景だけ。僕はそれだけを手掛かりに、地図やネットのストリートビューを駆使し、来る日も来る日もその場所を探し続けた。

 次第に大学にも行かなくなり、日中は写真の場所を探し、夜は夢の中に浸るばかり。いつしか僕の暮らしは昼夜逆転となり、僕の世界は全て夜だけとなる。

 僕はもうその生活だけで満足だった。ある日、僕はとうとう写真の場所を探し当てた。すぐに準備を始め、電車と新幹線を乗り継ぎとうとう僕はその場所へと行き着く。

 夜空は、まさに写真の通りだった。いやむしろ写真の数百倍も美しかった。

 星は移ろい、夏の星座が秋となり、冬の星座、春の星座と次々に幻想的なショーを見せてくれる。夜はまるで終わりを見せず、僕は大地と同化したかのように寝転んだままで、もうこのままでもいいやと思った所で目が覚めた。

 僕は、病院のベッドの上だった。聞けば僕は栄養失調となり、餓死寸前だったと聞く。

 見付けてくれたのは天文部の部長だったらしい。しばらくの入院生活を送り、ようやく社会復帰した所で部長に挨拶に行ったのだが、そこで僕は部長から驚くべき事を聞いた。

 前に休学となったまま行方不明になったF先輩が、隣の県の山中にて白骨死体となって発見されたのだと言う。

 そしてそのF先輩とほぼ同じようにして顔を見せなくなった僕を案じ、部長がその遺体現場へと足を運んだ所、衰弱した僕を見付けたのだと言う。

 それからしばらくして、僕は部長に案内してもらい、その現場へと訪れた。だがそこは例の写真に写っているような場所ではなく、高い木々に空が覆われ、町の風景さえも見えない場所だったのだ。

「ここに、写真が落ちてませんでしたか?」

 聞けば部長は「あった」と答える。

「それは今、どこにありますか?」聞けば部長は、付き合っている彼女がそれを欲しがるので、渡してしまったと答えたのだ。

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