#560 『夜から戻れなくなった話・壱』
二夜に渡って、夜の世界から戻れなくなった人の体験談を掲載させていただこうと思う。
まず一夜目は、当時十七歳だったUさんと言う女性のお話し。
――昭和の四十年代頃。その時代の土曜日は“半ドン”と呼ばれていて、会社も学校も午前中で終わりだった。
私は家へと帰り、母の用意してくれていた昼食を妹と一緒にとって、自室へと引き上げた。
ベッドで横になり、ふと気が付くと既に部屋の中は真っ暗だった。おかしいな、そんなに長く寝たつもりは無いのに。思いながら時計を見るが、真っ暗過ぎてまるで分からない。
手を伸ばして照明の紐を引く。だが、灯りは点かない。窓から飛び込んで来る街灯の明かりがなければ手探りで歩くしか出来ない程の暗さだった。
私は少々パニックになりながら部屋の外へと出る。そうして母の名前を呼んでみるが、応えは無い。
まさかまだ帰って来ていないのでは。思って今度は妹の部屋のドアを叩くが、これもまた何の返事も来ない。恐る恐るドアを開ければ、その部屋の中はカーテンでも閉めているのか私の部屋よりも暗いのだ。
私は玄関から転び出るようにして外へと向かい、家から徒歩十分ほどの場所にある母の職場へと向かう事にした。
外は街灯のおかげで家の中よりも若干は明るい。だが普段見慣れている明るさよりは、妙に薄暗く、くすんで見えるのである。
もう深夜の時間帯なのだろうか、どの家の窓からも光が漏れている様子が無い。
私は一人、寝静まった住宅街を歩く。なんとなくだが、私の見知った筈の光景と、“何か”が違っているように見えた。
やがて道は田畑の続く農業用地となり、その先に赤いランプを点滅させ、遮断機が降りた踏み切りが行く手を阻んでいた。
おかしいな、こんな所に踏み切りなんかあったっけ? 思い返すが、あった気もするし、無かった気もする。
電車は来ない。ただ暗闇の中、冷たい音を立てながら警告音が鳴り響くだけ。
ふと見ると、遮断機の向こうでこちらに背を向け、立っている女性の姿があった。私は怖くなり振り返って家路を辿るが、どこでどう間違ったのかまるで見知らぬ町の中へと迷い込んでしまった。
見上げると、遙か向こうの突き当たりの家の窓に、明かりが灯っているのが見えた。
私がそれを目指して進むと、どこからか「ねぇ、待って!」と呼ぶ声がする。目を凝らして見れば、今まさに通り過ぎようとしている家の窓から私ぐらいの年齢の女の子が身を乗り出し、懸命に私を呼び止めているのだ。
ふと気が付く。良く見ればそれは私の家だった。「早く! 早く戻って!」と、その女の子は言う。私は「うん」と頷き玄関へと向かい、ドアを開けて中へと転がり込んだ。
そこで私は目が覚めた。気が付けばそこは自室のベッドの上で、妹が真剣な顔つきで、「ねぇ、起きた?」と、私の身体を揺さぶっていたのだ。
「どうしようかと思った。全然起きないんだもん」
言われて私はハッと身を起こし、そのまま急いで窓辺へと向かい、勢い良く窓を開け放った。
すると今まさに、家の前を通り過ぎようとしている女の子の姿があり、私は必死で「ねぇ、待って!」と叫ぶ。
声に気付き、振り返ったその女の子は、“私”だった。「早く! 早く戻って!」と叫ぶと、向こう側の“私”は、何かを悟ったかのように「うん」と頷き、家の玄関の方へと向かった。
カチャリとノブの回る音がして、玄関のドアが開く。同時に母の、「ただいま」と言う声が聞こえて来た。
時刻はまだ、昼の三時だった。
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