#746~749 『阿火摩さま』
少し前、#685より#699まで掲載させていただいた、“黄泉路くだり”について、似たような話があると言う投稿が筆者の元に届いた。
その文中に出て来る、“アカマ様”と言う土着神についてのお話しである。
投稿者は島根県に住む米村匡(ヨネムラタダシ)さんと言う男性の方。これもまたとても興味深いお話しなので、是非御一読いただきたい。
――私がまだ小学生だった頃の話である。
隣町から新しいお母さんがやって来た。名前を“富子(とみこ)”と言うらしく、父と祖母は名前でそう呼び、私だけ「お母さん」と呼ぶ事を強いられた。
継母(けいぼ)が私に優しかったのは僅か一ヶ月ほどで、それ以降は少しずつ私の前でだけ本性を見せるようになった。
それからはとても辛い毎日であった。とても些細な事で叱られ、怒鳴られ、時には平手で頬を張られる事もあった。
だがある日の事、家で継母と二人きりの時、やけに珍しく「タダシ、一緒にお外に遊びに行こう」と言ってくれたのである。
その時の私はただ継母が優しく接してくれるのが嬉しくて、何も疑いもせずに継母の後を付いて行った。だが――
「お母さん、こっちの方は……」と、不安な声で継母を止める。なにしろその道の先は、“あかまさん”と呼ばれる禁忌の山だったからだ。
そこは祖母や父のみならず、近隣の人達からも「絶対に入っちゃ駄目だ」ときつく言われている場所である。おそらくその事を継母は知らないのだと思い、私はそれを止めようとしたのだが、「大丈夫だから」と継母は優しく笑い、私の手を引くのである。
実は私は過去に一度だけ、祖母に連れられその山に分け入った事がある。祖母曰く、「駄目だ駄目だと言ってたって、子供ちゅうもんは駄目な事ばっかしたがるもんなぁ」と笑い、実際にその山の何が“駄目”なのかを教えたかったらしい。祖母はその山の奥へと連れて行くと、その先にある一画を指差し、「見えるかタダシ」と私に聞いたのだ。
それは山中に現われる、注連縄で囲われた一画。何故かその注連縄の内側は草木が生えておらず、無骨な岩盤が剥き出しとなっていた。
「あれが、“あかまさん”だ。この山ん中に入っても、絶対にあの縄の内側には行っちゃならん。行ったら最後、もうこの世には戻って来れん」と、祖母は私にそう教えてくれたのだ。
だがその言われを知ってか知らずか、継母は堂々とその注連縄の前まで行き、手提げの籠から何かを取り出す。見ればそれは私が普段から大事にしているウルトラマンと仮面ライダーのソフビ人形であり、継母は笑いながらその人形を注連縄の内側に放り投げ、「取って来なさい」と言うのである。
「嫌だ」
「取って来なさい」
「嫌だ!」
「取って来いって言ってんだよ!」
そして私は数度、継母に頬を張られた。最後には蹴られるようにしてその注連縄の内側に放り込まれ、私は仕方無く這うようにしてその人形を探しに掛かった。
ソフビ人形を二つ共無事に見付け、さあ戻ろうとすれば、継母はその注連縄の向こうで懸命に手を合せて何かを祈っている。私はそれを見てなんだか私自身が仏様にでもなかったかのように感じ、泣きそうになりながらそこから転げ出た。
帰り道は、継母に手をねじり上げられ、「今日の事、誰かに話したら殺すからね」と終始脅されながらの帰宅であった。そして私はその継母の本気さを知り、「分かったから」と大泣きをしていた。
さて、それ以降の事だ。私は何故か、父と祖母――特に祖母の方だ。二人にこっぴどく叱られる事が多くなった。
父は暴力を振るう事は無かったが、静かに、「大概にせんと捨てるぞ」と脅し、祖母はもう烈火の如くに私を怒鳴り付け、継母よりも強烈な平手打ちを食らわした。
もうその頃の私と言えば、家でも学校でも居場所が無く、家では怒鳴られ、学校では狂人扱いで先生からも同級生からも疎まれていた。
実際、私は皆がなんで怒っているか、嫌っているかがまるで分からなかった。私自身はいつも通りに振る舞っているつもりなのに、誰もが私に対して怖い顔をし、殴る蹴るの暴行を加えたり、遠ざけたりをするのである。
ある日の事、病院から帰って来た継母が嬉しそうに、「おめでたですって」と、家族にそう打ち明けた。それを聞いて父も祖母も大喜びをし、その日は盛大な料理が食卓を飾った。
もう本当に私の居場所はここに無い――と、感じた瞬間だった。おそらく継母の子が産まれると同時に、本格的に私は要らなくなるだろうと思い、悲しくて悲しくてどうしようもなくなって、私は一人で仏間に籠もり、実の母の遺影に向かって「お母さん、僕を迎えに来て」と本気で願った。
涙がとめどなく溢れ出る。私には生前の母の記憶はほとんど無く、それは火葬される直前のシーンだったのだろう、祖母に抱っこされて、「おかんにさようならを言え」と言われ、その柩の中の母に向かって、「バイバイ」と手を振った場面だけが思い出される。
すると突然背後から、「お前、何かに憑かれとうな」と声がした。振り返ればそこには祖母の姿。祖母はとても怖い顔をして私の顔を覗き込み、「何があったか言え」と言うのである。
もうその頃の私はとっくに絶望し、自殺を考えており、既に継母の恐怖など微塵も感じなくなった頃なので、何の抵抗も無く継母から受けた虐待や、あれほど言うと脅された“あかまさん”の事まで全てを打ち明けた。
「それでか!」と祖母は目を見開く。同時に祖母は何かを覚悟したらしい、「千佳絵(実の母の名だ)の代わりに婆が助けてやるからな」と、私の両肩を強く握った。
さてその次の日、再び病院へと向かった継母を見送り、祖母は父を掴まえて私の身に何が起こったのかを全て話した。その上で、「千佳絵の子と、富子の子、どっちを選ぶかはっきりせい!」と父を怒鳴り付ける。すると父はゆっくりと頷き、「富子とは離縁する」とはっきりそう言ったのだ。
それから祖母は、「三日したら戻る」と言い残し、家を出て行った。父は父で、「ばあちゃんが戻るまで、いつも通りに振る舞え」と私に言い、なるべく継母から私を遠ざけるようにしてその三日を過ごした。
祖母が戻って来たのは、継母が出て行った直後の事だった。おそらくはどこかの物陰で様子を伺っていたのだろう、白装束姿の祖母はやけに痩せ細り、眼光だけが鋭くなって見えた。
「数珠とか線香は?」と聞く父に、「なんも要らん。あかまさんには仏の力なんぞ通用せん」と祖母は言い、台所から木の実類――アーモンドやピーナッツ、クルミなど――を袋に詰め、水筒に水を浸して家を出た。
行く先は思った通り、“あかまさん”の山だった。着いた頃には既に陽も沈み掛け、もう間もなく辺りも真っ暗になるだろうと予想された。
祖母は注連縄の前に立ち、その内側に日本酒を撒きつつ懸命に何かを祈っていた。そうして完全な日没となり、周囲がほとんど何も見えなくなった頃、「食え」と持って来た木の実を渡された。
「下手したらしばらく何も食えなくなるやも知れん」と祖母は言い、自身もまた一緒になって木の実を頬張った。
「中に入ったら目を瞑って決して開くな。眠ってもいいが、ばあちゃんが声掛けるまで何もしゃべるな。もうそっから先は、“あかまさん”がお前に飽きて出て行くまで、ずっとそこに座り続けるからな。もしもばあちゃんが力尽きてくたばったとしても、お前は“あかまさん”が出て行くまで、ずっと頑張れ」
二人で水筒の水を飲み、「さぁ行くぞ」と祖母はその注連縄を跨ぐ。私もその後に続き、祖母を手伝って岩盤の上の茣蓙を敷く。
さてそこからどれだけの時間が経ったのか。祖母の言った通りに私は目を瞑り、何もしゃべらず、黙ってその茣蓙の上で座り続けた。
気が付けば、朝が来ていた。
「タダシ、もうええぞ」と、祖母の声がする。
目を開けると、あれから更に痩せ衰えた祖母が私を見つめ、微笑んでいた。
やけに臭い。見れば祖母の白装束の股辺りがやけに汚れており、そこで失禁したのだろう事が覗えた。
「もうばあちゃんは立てん。置いて行け」と言うが、私は懸命に祖母を担いで立たせ、山道を降りた。
家へと帰り着くとそちらでも何かがあった様子で、家中の家具が倒され、割れた皿が床中に散らばり、その中で父はあぐらをかいて座り込んでいた。
継母の姿は既に無かった。祖母が「どうした」と聞けば、「ありゃあ、最初から“あかまさん”の事を知ってここに来たらしい」と父は言うのだ。
「あぁ」と祖母は頷き、何かを納得したかのように裏手の井戸へと向かい、頭から水をかぶった。そうしてそれを見ながら、父は私の頭を撫でつつ、「タダシには申し訳無い事をした」と詫びたのだ。
これは後から聞いた話だが、私が継母に突き倒され、“あかまさん”の注連縄の内側へと入り込んだ後から、時折人が変わったかのように暴れたり、騒いだり、酷い悪さをする事があったのだと言う。
それは家だけに限らず学校でも同じ事で、それで私が皆から冷たくあしらわれていた理由が分かったのだ。
継母のしでかした事は、あっと言う間に近隣に知られる事となった。同時に私のした行いは「しょうがない事」だとされ、皆から許された。
逆に継母がやって来た隣の集落は、その後に酷い迫害を受けたらしく、数年を待たずして廃集落となった。これは更に後から聞いた話だが、継母は以前にも一度子をもうけ、それを流産してしまった事が原因で当時の旦那から離縁されたと言う過去があったらしい。
「お前とその流れた子を、取り替えようとしたんだろう」と、祖母は言う。
ただその一連の出来事の中で、一つだけどうしても腑に落ちない事があり、祖母は生前、「“あかまさん”はあの洞穴を通って地上へ出て来る」と言っていたが、私にはそこがどうしても分からない。
「洞穴なんかどこにあった?」と聞けば、「ばあちゃんと一緒に座ったあの目の前にあったじゃろう」と言う。だが私はその洞穴を全く見てはいないのだ。
祖母曰く、「あれだけ大きな穴が目の前にあって、何で気付かん」と言うが、見ていないものは見ていないとしか言いようが無いのである。
結局、私はその“あかまさん”の事はほとんど聞かせてもらえないまま、祖母も父も鬼籍へと入ってしまった。これはもう全て私の推測にしか過ぎないのだが、その“あかまさん”と呼ばれる土着神は、死んだ人と生きている人の魂を取り替える事が出来る神だったのではないかと考える。だがそれはとてつもなく禁忌で、大きな代償を払うからこそ、「あそこには近付くな」と言われていたのだと思う。
ちなみにもうその“あかまさん”と呼ばれる場所は無い。近年の大きな地震で完全に崩れて落ちてしまったのである。
それから十数年が経ち、たまたま見付けたとあるTwitterアカウントで、“アカマさま”なる記述を見付けた。そうしてこの話を投稿するに至るのだが――
そう言えばと思い出す事がある。私が成人をし、働き出した頃。とある少女に声を掛けられた。
その少女はしばらく私の顔を眺め、にっこりと微笑んだ後、「頑張ったね」とそう言ったのだ。
そうしてその少女は去り際に、「バイバイ」と私に向かって手を振った。
なんとなくだが――生前の母の記憶と、その少女の笑顔がだぶって私には見えた。
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