#554 『峠の白壁』
東北へと向かう、とある県境の峠道での事だと言う。
当時三十代であったYさんは、前方にヘアピンカーブが迫って来るのを見て、自然にバイクのアクセルを緩めた。
同時にそのカーブの途中で、こちらに背を向けて立っている人の姿を認めた。
それは土砂崩れの為なのか、壁面を全てコンクリートで塗り固めた場所だった。Yさんがいよいよそのカーブに差し掛かると、それは人影ではなくコンクリートに染みた苔かカビのようなものであった。要するにその黒い染みが人型に見えていただけだったのだ。
不気味だなとYさんは思ったらしい。なにしろその染みはこちらに向かって手を合わせ、拝んでいるかのような形をしていたのだ。
家に帰り、その場所をストリートビューで探してみる。だがそこに写る映像はただの白いコンクリート壁で、自分が見たような黒い染みは見当たらない。
気のせいか――と、その時はそれで済ませた。だがそれから数ヶ月後、またしても同じ場所をバイクで通り掛かる事となった。
夕刻、もうそろそろ日が沈むだろう時刻だったと言う。早めにライトを灯し、例の場所へと差し掛かる。するとまたしても同じ場所に黒い人の姿があった。
ギョッとするYさん。やっぱりあった。そう思ったのも一瞬で、今度は染みではなく実在の人がそこに立っているのだと言う事に気付く。
それは上下が黒のライダースーツを着込んだ男性で、壁に向かって手を合わせ、頭を下げている。その足下には花束とワンカップの日本酒が置かれていた。
Yさんはその背後を低速で通り過ぎ、そして少し行った先でバイクを停めた。特に何かあった訳ではないが、同じバイク乗りだと言う仲間意識から、自分も手を合わせて行こうと思ったのだ。
黒ずくめの男性がYさんに気付いて振り返る。「どなたか亡くなったのですか?」と聞けば、その男性は「友人です」と答えた。
「ご愁傷様です」と、Yさんもまたその男性の横に並んで手を合わせた。やはりその壁には何の染みも無かったのである。
再びYさんはバイクに跨がりその場を去ったのだが、思う所あって再び道を引き返す。さっきの男性のバイクが近くに無かった事を思い出したのだ。
日は沈み、峠の山道には街灯の一つも無い。気の毒に思ったYさんは麓まで送ろうかと思って戻ったのだが――
カーブが見えて来た所で、Yさんはもう一度進路を変更し、家路を急いだ。
もうそこには男性の姿は無く、黒い染みの前に花束とワンカップが置かれているだけだった。
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