#549 『母の粥』

 珍しく酷い風邪をこじらせた。

 関西に住む姉に電話をして風邪の対処法を聞くのだが、どれもすぐに試せるものではなく、諦めて熱い湯をすすって寝る事にした。

 翌朝には更に熱が上がっていた。トイレに立つぐらいがやっとで、冷蔵庫で冷えているヨーグルトすらも食べたくない程。さすがに一人暮らしは堪えるなと思いつつ、二日目の夜を迎えた。

 真夜中、高熱の時特有のとりとめない夢を見ながら、若くして亡くなった母の事を思い出す。

 夢うつつの中、私は「お母さん」と呟いた。

 するとそれがきっかけとなったのか、涙がとりとめもなく溢れ、私は暗いワンルームの中、独り嗚咽を漏らしていた。

 やがて、泣き疲れて再びの眠りに落ちた。すると夢の中、私が幼かった頃に見た光景に母が出て来て、記憶の通りの玉子粥を作って持って来てくれるのだ。

 私が熱を出すと母が必ず作ってくれたあの粥だ。不思議と夢の中でもその味が分かり、私は母がその粥を掬ってくれるのを、ぼんやりとしながら眺め続けているのだ。

 翌朝、目を覚ませば、何故かやけに身体が軽い。まだ熱はあるのだが、微熱程度には治まっている。

 お湯でも沸かそうかと台所へと立てば、果たして私はそれで何を食べたのか、記憶に無い空の茶碗とスプーンがシンクの中に置かれてあった。

 あれは確かに夢の筈――だが、今もまだ微かに、母が触れていた手の温もりや息遣いが身近に感じられる気がしていたのだ。

 そこに突然、インターフォンが鳴り出す。ガウンを羽織って玄関へと向かえば、それは姉からの宅配便だった。

 小さな段ボール箱には、水と薬と、容器に詰められ冷凍された粥が入っていた。

 私はそれをレンジで解凍し、母が昔そうしてくれたように、ふぅふぅと息を吹き掛け冷ましながら口へと運んだ。

 少し前、夢の中でも食べた母の粥の味だった。

「お母さん!」

 またしてもとりとめなく涙が溢れ出て来る。私は懸命に涙を拭いつつ粥を平らげ、ようやく嗚咽も治まった後、姉に電話を掛けた。

「――もしもし、お姉ちゃん?」

 母の味は、ちゃんと姉に受け継がれていた。

 姉は相変わらず母と同じ小言ばかりで、私はなかなか玉子粥の作り方を聞けないままに、「うん、うん――ごめんね」と、苦笑しながら相槌を打つばかりだった。

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