#548 『梅雨の記憶』

 梅雨が来る度、幼くして亡くなった妹の事を思い出す。

 享年十歳。悪性の腫瘍が見付かった時点で、もう既に手の施しようが無かった。

「おねぇちゃん、私もう一度だけ紫陽花が見たい」と、病院のベッドの上で妹は言った。だがそれは無情にも叶わなかった。

 年が明けてすぐの頃、桜も見ずに妹は逝ってしまった。

 それから十数年の年月が経ち、私は二十四になった。そしてその年の梅雨の時期――

「どうしてあんたは、毎年毎年、紫陽花を飾るん?」と、母に聞かれた。

 私は特に秘密にしていた訳でもないので、遺影の前に花を生けながら、「最後に妹が見たがっていた花だから」と話せば、「見たでしょうに」と、母は怪訝そうな顔で答える。

 母が言うには、妹は梅雨明け後に亡くなったと言う。何故か私の記憶とはまるで違うのだ。

 とある日曜日の午後の事。その日は朝からの長雨で、私は縁側横の部屋でうたた寝をしていた。するとその夢の中に、当時の姿そのものの妹が出て来た。

 妹と私は縁側に並び、庭に咲く紫陽花の絵を描いていた。屈託なく笑う妹の姿があまりにもいじらしく、「もうあなたはいないんだよ」の言葉を必死で飲み込み、思わずその身体を抱き締め、哀しみの中で目が覚めた。

 雨は降る。ガラス越しに、いつか見たあの紫陽花が今も同じようにして咲いてる。

 私はその後、思う所があって妹の部屋の押し入れを開いた。そしてそれはすぐに見付かった。絵を描くのが好きな妹の為に、私がプレゼントをしたスケッチブック。開けば一番最後の頁に、夢で見たままの構図の紫陽花の絵が出て来た。

 私にはそれを描いた記憶が無い。だが確かに絵の片隅には妹と私のサインが入り、しかもその私の名前は、子供の頃のそれではなく、まさに大人になってからの筆跡なのだ。

 母にその絵を見せれば、「懐かしい」と言う。入院する直前、縁側で私と一緒に描いていた絵だと言う。

 後で調べた所、やはり妹の亡くなったのは二月の冬の事だった。

 思い違いは私の方では無かった。

 だが、私はまだその事を母に告げてはいない。

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