#544 『てんつく』
夫の実家へと立ち寄った際の出来事。
夫の実家は、車で約二時間ほどの所にある。近くもなければ、行けない程遠くもないと言った距離である。
ある日の事、実家で長居をしていざ帰ろうとすると、何故か車のエンジンが掛からない。
生憎、夜も九時を過ぎていたので近隣の修理工を呼ぶ訳にも行かず、仕方無く実家にて一泊をする事となってしまった。
さて、その晩の事。かつては夫の自室だったらしい六畳ほどの和室に布団を敷いてもらい、そこで二人で眠った。
おそらくは真夜中だろう頃になり、夢うつつの中で私は妙な音を聞く。
――てんつく てんつく てんつくつくつく てんつくてん――
太鼓の音だろう、リズミカルな乾いた音だった。
ハッと目が覚め、耳を澄ます。音は消える。だが、どうにもその消えるタイミングがおかしい。私自身がはっきりと目が覚めてから、音が消えて行った気がするのだ。
気のせいだと思い込み、再び眠りに就く。するとまた、どこからか音が聞こえて来る。
――てんてんてん てんつく てんつく てんつくてん――
またしてもハッと飛び起き、隣で寝ている夫を揺り起こす。そして今あった出来事を夫に話せば、「寝ぼけてんだろう」と、不機嫌な声で言う。
だが、今度は間違いなく聞こえたのだ。起きると同時に、くすくすと笑いながら消えて行く女性達の声を。
「本当に誰かいたのよ」
私はなんとなくそれが窓の外の音なような気がして、起き上がり窓のカーテンを開けようとする。
「やめとけ」と、夫が怖い声で言う。なんとなくだが、普段の夫とは違う声のような気がした。
仕方無くまた布団に転がるのだが、今度はなかなか寝付けない。だが夜もまだ明けそうにない時分である。どうしようかなと目を瞑りながら横になっていると――
てんつく――と、今度は現実の中でそれを聞いた。
――つくてん つくてん てんつくつくつく てんつくてん――
間違いなく外に誰かいる。思って私は飛び起き、カーテンを開いた。
暗闇の中、蜘蛛の子を散らすようにして消えて行く法被(はっぴ)姿の男女。そしてその場に残された担ぎ神輿。私はそれを呆然と眺めながら、「何これ……」と呟けば、背後から「見ちゃなんねぇって」と、先程と同じような声色で、夫がそれをたしなめた。
翌朝、何故か車は何事もなかったかのようにエンジンが掛かった。
帰りの道中でその晩の事を夫に尋ねたのだが、夫はその事をまるで覚えておらず、「いや、知らないなぁ」と首をひねるばかり。
ちなみに実家の周囲には、窓から見たような神輿はどこにも存在していなかった。
それから数日して、実家の義父から電話が掛かって来た。電話に出たのは私だったのだが、なんとなくその義父の声が、あの晩に聞いた夫の声に凄く似ていたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます