#539 『託された写真』

 太平洋戦争時代の頃の話である。

 添田さんの曾祖父である邦太郎さんはその時、帰国する船の中にいた。船に乗り込んだ日本軍兵士は、総勢三十八名だったと言う。

 ――私達は敗戦の痛手を受け、乗船して二日目より、上官が妙な行動を始めた。各自部屋から出ないようにと号令し、各部屋を巡って我々の顔を見て回るのである。

 その日も朝から、上官が我々の部屋へと来た。指をさす事はしないものの、全員の頭数を数えているのである。

「良し」と言い残し、部屋を出る。そうして全ての船室を見て回った後、午後には再び同じ事を繰り返すのだ。

 その日の夜の事だった。粗末な芋粥を平らげた後、集合の命令を受ける。行けば上官は渋い顔をしながら、「皆に言い渡す事がある」と告げた。

「この中に一人、自らが亡くなった事を知らない者がいる」

 船内はざわついた。言葉の意味は分かるが、その状況が分からないのだ。

「食事が必ず一人分余る、この中に、もう食う事も叶わない者がいると言う事だ」

 誰もが、左右、両隣の者の顔を確かめる。しかしこれと言って不穏な行動を取る者はいない。

「気持ちは分かる。諸君らは全員、家に帰りたい。もちろん私も帰りたい。だが――それが叶わない場合もあるのだ」

 言いながら上官は涙をこぼす。「申し訳ない」と告げ、「その“君”は、もう家には帰れない事を察して欲しい」と言うのだ。

 再び、全員が部屋へと戻る。その深夜の事だ。

「添田君、君は確か羽後の人だったね」と、上の段のベッドに寝る猪俣と言う男が話し掛けて来た。

「僕は羽前の者だ。どうか頼まれ事をして欲しい」と、その男は胸のポケットから一枚の写真を取り出した。そこには若き日の彼と共に、妻と家族の者だろう人の姿が写っていた。

「これを君に預けたい。どうか、いつの日か、僕の家の近くを通ったならば、これを渡して欲しいのだ」

 言って猪俣は私にそれを押し付けた。裏には彼の家のものだろう住所と、妻の名であろう、“トミへ”と宛名されていた。

 なんとなく理解が出来た。上官の言う、もう帰れない誰かとは、今私の目の前にいるこの男なのだと。

「こう伝えてくれ。彼は最後の瞬間まで、この写真を抱いて笑っていたと」

 そう言って猪俣は笑う。私は黙って頷き、その写真を自らの胸ポケットにしまい込んだ。

 翌朝から食事が余る事は無くなった。同時に船の中から、猪俣と言う男の姿が消えた。

 私は無事に家へと帰り着き、少しした頃、猪俣との約束の為に羽前の彼の家を訪ねた。

 だが、そこに記載された場所に家は無い。どれだけ探しても猪俣姓の家も無い。そしてその近隣の家々を訊ねて聞けば、その家はもう存在していないと言う。

 連れて行ってもらった先は、焼け跡生々しい更地であった。爆撃の際に巻き込まれ、家族全員が焼死したらしい。

 写真は返せないまま家にある。その数年後、世界は終戦を迎え、私はその終戦記念日の度にその写真を仏間へと飾って手を合わせていたが、ある時を境にその写真が見当たらなくなってしまった。

 そう、まるであの時、猪俣が姿を消した時のように、写真もまた消えてなくなってしまったのだ。

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