#522~523 『特別失踪』
ある時、我が家の親類縁者が家に集まり、何やら深刻な相談をしていた。
僕はその中には加わらなかったのだが、聞き耳立てて拾った言葉の中には、“特別失踪の申し立て”と言うものがあった。
皆が帰ってから親父に話の内容を聞けば、それは亡くなった伯父の遺産相続の事だった。
伯父はいくつかの会社を経営しており、それなりの財産はあったらしい。だが伯父には家族と言うものが無く、自然その財産は伯父の親――つまりは僕の祖父とその直系である両親とで分配しようと言う事となったと言う。
そして目下の困り事がその伯父が住んでいた家。親類縁者は皆口を揃えて、「取り壊して土地を売ろう」だったのだが、そこがなんとも難航していると言うのだ。
「どうして?」と聞けば、見積もりの時点で解体屋がとても嫌がるらしい。何でも二階にある一室が、解体屋の禁忌に触れていると言う事なのだ。
翌日、僕は親父に頼んで、その二階を見せてもらう事になった。何故かその立ち会いにはお袋も参加し、三人での訪問となった。
元より古く大きな洋館ではあったのだが、こうしてあらためて訪問するとその大きさが更に実感出来た。とにかく、一人で住むには勿体ないぐらいの規模なのである。
そして問題の部屋は、伯父が使っていた書斎の一つ手前にあった。
「気を付けろ」とは言われていたが、実際の部屋を見たならば誰もが驚くであろう。部屋はなみなみと張られた水の中に埋もれていたのだ。
そこは若干だが他の部屋とは違い、数段ほど落ち込んで作られていた。むしろ部屋と言うよりは、二階の居間から向かえる書斎とクローゼット部屋への分岐する場所。つまりは通路の一部であるかのような部屋だった。
どう言う作りをしているのか、水はどこかへと流れ込む気配も見せずに、その場で揺蕩っている。見れば床は全てタイル張りで、元より防水加工は万全だったのかも知れない。
「これのせいで、解体屋も修繕屋も、どこも手を出さない」と、親父は言う。どうやらそれはその業界の禁忌らしく、「祟られるのは困るので」と、引っ込んでしまうと言うのだ。
「水、汲めばいいじゃん」と言えば、「何度もやった」と親父。だが、汲んでも汲んでもまたすぐに水が溜まってしまうと言うのである。
「とりあえず雨漏り直さんといけんよなぁ」と僕は天井を仰ぐが、見た限りそのような箇所はどこにも見当たらない。どころか、その家は更に上の階があり、もしも雨漏りであるならばその上の階もまた同じようになっている筈なのである。
「水が溜まるのはここだけなんだ」と親父。とにかくこの問題を解決しないと、この家はなんともならないらしい。
ただ僕の記憶では、前からこうなってはいなかったと思っている。実際家も近いし、伯父の家には何度も来ている。そして伯父の書斎にも入った事はある。だがその手前の部屋が水浸しだったと言う記憶はまるで無いのだ。
階下へと降りると、お袋がキッチンで首を傾げていた。
「なんかちょっと……」と口ごもり、「誰かここに来て掃除している様子があるんだけど」と言うのだ。
言われてみれば確かにおかしい。伯父が亡くなったのは二年前。それっきり、親類縁者が様子を見に来る以外に誰も立ち入る事は無い筈なのに、妙にこの屋敷は綺麗に保たれているのである。
「やっぱりまだ生きてるのかしら」と、お袋は呟く。そしてこれはその夜に聞いた事だが、伯父は死亡した訳ではなく、海難事故で行方不明となったままだと言う事実があった。
そこでようやく納得が行った。昨日、親類同士で話し合った言葉の中に、“特別失踪”と言うものがあった。要するにそれは、行方不明のまま姿を現わさない人に対し、特例で死亡扱いが出来ると言う申請らしい。それが通れば、死亡届を提出し、遺産の相続が出来ると言うもの。
「死んでるかどうかも分からんのに、死亡届出すんか?」と問い詰めると、「そうせんとやたら金ばっか掛かって敵わん」と言う。それで親類一同が集まり、なんとかあの家を取り壊そうとしているのである。
ある日、僕がその件を友人に話すと、「面白そうじゃん」と乗って来た。そうして皆で泊まり掛けで家の様子を伺い、どこから水が出て来るのかを三人で突き止めようと言う事になった。
まず、溜まった水は全て昼の内に汲み終えた。しかも床はしっかりと拭いて、どこからも水が来ていないのを確認し、ビデオカメラを設置した。
誰もがキャンプ気取りだった。酒と弁当を持ち込み、寝袋も持参。時代が時代なのでビデオカメラは一台しか用意出来なかったが、それでも八時間は撮れるので、準備は充分だった。
やがて夜が来た。友人のSが、「トイレ」と言って席を立つ。そして少ししてSは、「お前らどっちかトイレに来たか?」と、僕らに聞くのである。
僕ともう一人の友人Fは、「いや、ずっとここにおった」と証言する。実際僕らは、問題の水の溜まる部屋から一歩も動いていなかった。
「でも、トイレの横の廊下を誰かが横切った」と、Sは言う。足音も、ドア下の影も確認したと言い張るのだ。
次はFが妙な事を言い出す。部屋の窓に写った反射の影が、四人分あったと言う。その内、屋敷中に轟くようにして誰かの来訪を告げるチャイムが鳴る。「誰か来たな」とは言うものの、誰も出て行こうとはしない。
やがて深夜となる。三人で馬鹿馬鹿しい話をしていると、真上を歩く足音が聞こえて来た。
「上の階ってどうなってる?」と聞かれ、「だだっ広い屋根裏部屋が続いてる」と、僕は答える。もちろん上に登ってそれを確かめる人は誰もいない。
深夜の二時。僕らは就寝の準備を始める。問題の部屋は僕一人が寝袋で寝て、他の二人はその隣の居間に布団を敷き、僕が見えるような位置で眠る事となった。
カメラを回す。僕はなかなか寝付けなかったが、やがて息が深くなり、自身の眠りを自覚する。その時だった――
ぎぃと音がして、視界の隅にほのかな明かりが見えた気がした。
ふと目を覚ませば横の書斎のドアが開き、中の照明の光が漏れ出て来ているのだ。
あれ、電気なんか点けたっけなぁと思っていると、「おい、何やってんだ」とSの声がした。
気が付いてびっくりした。僕は思いっきり水を飲み込み、激しく吐いた。部屋は、水浸しになっていたのだ。
「なんでそこに寝ていて気が付かねぇんだよ」とは言われたが、実際全く感覚が無かったのである。
僕は部屋を出て、着替えをする。もう眠れそうにないなと三人で納得し、それまでの経緯をカメラで確認する事となった。
問題のシーンは、あった。それまで何の変哲も無かった映像に、突然人の影らしきものが映り、そしてカメラは勝手にどうでも良いような天井付近に方向を変え、それから三十分ほどして、「おい、何やってんだ」と、Sの声が混じった。結局、映像はそれだけなのである。
水の出所は、全く分からず終いだった。
伯父の特別失踪は通ったが、屋敷はまだ取り壊されないままそこにある。
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