#515~516 『龍神沼』

 これは俺がまだ高校生だった頃の話である。

 生まれも育ちもY県の山奥の過疎の村。自転車で片道十五キロ程の距離の坂道を下って行かなければ、缶ジュースの一本も買えないそんな辺鄙な場所だった。

 村の一番の高台に位置する民家より、更に奥へ奥へと踏み込んで行った先に一つ、小さな沼があった。

 池の名前は“衣子(きぬこ)沼”と言う。何でも大昔にその沼で、“衣子”と言う名の子供が溺れ死んだから付いた名前だと聞くが、実際はそれ以外にも数人、そこの沼で亡くなっているらしい。

 溺れ死ぬのは必ず幼い女の子で、ふと家人が「突然いなくなった」と騒げば、大抵はその沼に浮かんでいるのを見付けるのだと言う。

 だが俺を含むその村の悪童は、その噂を逆に面白がり、皆でたむろして沼まで遊びに行き、その都度親に見付かっては激怒されたりしたものだった。

 だがそんな遊びも中学になる頃には飽き始め、やがて野球だサッカーだとそんなスポーツに夢中になる頃には、忙しさのあまり沼の存在など完全に忘れ去っていた。

 だが高校になり、あまり素行の宜しくない友人達とつるむようになってから、俺はまたしても暇な身となる。

 ある日、「なんか面白い事無いか?」と友人の一人に振られ、あぁそう言えばと思い出したのがその沼であった。

 話を聞いた友人達は、「面白い」と興味を持って、わざわざ俺の家まで来てその沼を見に行った。

 数年振りに見る沼は心なしか前よりも少しだけ小さくなった気がしていた。俺は友人達にその沼の伝説を教えると共に、「言い伝えでは水深が百メートルもあるらしいぞ」と伝えると、そんな訳無いだろうとか、せいぜい五メートルぐらいだろとか馬鹿にした上で、「ならちょっと測ってみるか」と言う事になった。これは俺がまだ高校生だった頃の話である。

 生まれも育ちもY県の山奥の過疎の村。自転車で片道十五キロ程の距離の坂道を下って行かなければ、缶ジュースの一本も買えないそんな辺鄙な場所だった。

 村の一番の高台に位置する民家より、更に奥へ奥へと踏み込んで行った先に一つ、小さな沼があった。

 池の名前は“衣子(きぬこ)沼”と言う。何でも大昔にその沼で、“衣子”と言う名の子供が溺れ死んだから付いた名前だと聞くが、実際はそれ以外にも数人、そこの沼で亡くなっているらしい。

 溺れ死ぬのは必ず幼い女の子で、ふと家人が「突然いなくなった」と騒げば、大抵はその沼に浮かんでいるのを見付けるのだと言う。

 だが俺を含むその村の悪童は、その噂を逆に面白がり、皆でたむろして沼まで遊びに行き、その都度親に見付かっては激怒されたりしたものだった。

 だがそんな遊びも中学になる頃には飽き始め、やがて野球だサッカーだとそんなスポーツに夢中になる頃には、忙しさのあまり沼の存在など完全に忘れ去っていた。

 だが高校になり、あまり素行の宜しくない友人達とつるむようになってから、俺はまたしても暇な身となる。

 ある日、「なんか面白い事無いか?」と友人の一人に振られ、あぁそう言えばと思い出したのがその沼であった。

 話を聞いた友人達は、「面白い」と興味を持って、わざわざ俺の家まで来てその沼を見に行った。

 数年振りに見る沼は心なしか前よりも少しだけ小さくなった気がしていた。俺は友人達にその沼の伝説を教えると共に、「言い伝えでは水深が百メートルもあるらしいぞ」と伝えると、そんな訳無いだろうとか、せいぜい五メートルぐらいだろとか馬鹿にした上で、「ならちょっと測ってみるか」と言う事になった。

 そして用意されたのは、二人乗りのゴムボートに、一メートルずつ印を付けた細長いロープの束。何でもその束一つで百五十メートルの長さらしく、もしも本当に百メートルもの水深があったとしても、充分事足りる長さだった。

 さて、ボートには俺と友人の一人が乗り込んだ。そうして沼の中央まで漕ぎ出すと、「放るぞ!」と、先端に石をくくりつけたロープを水の中へと落とす。

 水は気持ちが悪い程に濁り、手を入れてもその先端が見えないぐらいには透明度が薄い。

 底は見えないのだが、そんなに深くはないだろうとロープを解いて行くのだが、驚いた事に先端の石が全く底に付く気配が無いまま、ロープはどんどん水中へと引き込まれて行くのである。

「おい、マジかよ」と、岸に立つ友人達が言う。さすがに俺自身も気味が悪くなって来たのだが、それでもその沼の伝説の真偽を確かめたいと言う思いもあり、次々とロープを解いては中へと投入して行く。

 やがて、五十メートルを知らせる印まで水中へと飲み込まれた。

 五十メートルと言えば高校のプールの全長と同じ長さである。そうやって考えると、その沼は直径の広さよりも深さの方が勝っている、そんな沼となる。

 やがて七十メートルの印が飲み込まれる頃、一緒にボートに乗っている友人が、「そろそろやめとこうぜ」と、不安そうな声を出す。

 それには俺も賛同した。何故か妙な胸騒ぎがしたのだ。

「ここでやめる!」と俺が岸にいる友人達に叫ぶと、誰も反対する事無く無言で頷いた。

 さて、それじゃあ手繰るかと思い、今まで水中へとロープを放り込んでいた手を止めた瞬間だった。まるでそれは大きな魚が掛かった釣り竿のような感覚で、ぐいぐいっと二度程引っ張られたかと思うと、次の瞬間には恐ろしい程の強さでそのロープが勝手に飲み込まれ始めたのだ。

 シュルシュルシュル――ゾゾゾゾゾゾ――っと、ロープはゴムボートの縁をこすりながら、勢い良く飲まれて行く。あっと言う間に俺の見ている前で百メートルの印が水中へと消えて行き、為す術無くそれを呆然と見送っていた。

「やばい!」と、叫んだのは一緒に乗っていた友人だった。

 俺もその声で気が付いた。落としたそのロープの先端には石を括り付けたのだが、逆にその末端は落とさないようにと、乗っているゴムボートに括っていたのである。

 このままではボート自体飲み込まれるかも知れない。思って俺はそのロープを掴みに掛かったのだが、それが失敗だった。俺の身体はいとも簡単に水中へと引き込まれ、あっと言う間に方向を見失い、どこが水面なのかすら分からなくなる。

 慌てて上着を脱いで水中から顔を出せば、少し先の所で友人が空中に跳ね上げられて、同時にゴムボートが一瞬にして水中へと沈んで行く、そんな瞬間が見えた。

“何かがいる!”と、手足をばたつかせながらそう思った。

 瞬時に、ここで亡くなった多くの人の事を思い出す。そうなると人間とは弱いもので、その恐怖にパニックになりながら、悲鳴を上げて岸まで泳いで向かうだけ。

 何度も何度も、「もう終わりだ」と覚悟した。足から噛み付かれて水中奥深くまで引き摺り込まれる想像をしながら泳ぐのだが、結局、俺ももう一人の友人も、無事に岸まで泳ぎ付く事が出来たのだ。

「あれ……」と、友人の一人が沼の一カ所を指差す。見ればそこには、大半の空気が抜けたゴムボートの残骸が今まさに浮かび上がって来た所だった。

 もう、その沼に興味を持って近付こうとする友人は誰もいなかった。だが俺はどうしても例の一件が気になって、町の図書館でその沼の事を調べてみた。

 かろうじて、とある文献にそれは載っていた。かつてその沼は“龍神沼”と呼ばれていたらしく、供物と祈りを捧げて村の安全を願う、神の住まう沼だったと記されていた。

 それから数年後、その周辺一帯の民家をことごとく倒壊させたとんでもない地震が村を襲った。日本中誰もが知る、三陸沖地震である。

 もちろんその震災の原因が、その沼であるとは思ってはいない。だが俺は少々思う所があって、地震の直後、その沼の様子を一人で確かめに行った。

 すると、もうそこには沼は無かった。少し前の震災で崩れて落ちた山の斜面の土砂が、衣子沼を覆って埋めてしまったのである。

 俺はそれを見て呆然とした。埋めた土砂はどう見てもそれほどの規模ではないと言うのに、沼はもう跡形も無く埋め立てられてしまっているのだ。

 それはどう見ても、百五十メートルもの長さのロープを飲み込む程の深さを持つ沼だとは思えず、俺はただ首を傾げるばかりであった。

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