#513~514 『無縁仏』
少々長いお話しになってしまうと思う。ご容赦願いたい。
――新聞の折り込みチラシの求人広告に、“新店舗の設立から働ける人”と言う見出しを見付けた。しかも僕の今の仕事と同じ、バーテンダーの募集だ。
今の店が不満足な訳ではなかったのだが、店の立ち上げから始める募集と言う謳い文句に魅力を感じ、思わず連絡をしてしまったのだ。
オーナーは、宇田さんと言う男性だった。年齢は僕よりも十歳年上で、既に二店舗も経営しているやり手の方。
面接時、宇田さんもまた僕の事を気に入ってくれた様子で、「店長任せるから」と、翌日から一緒に店舗の立ち上げを手伝う事となった。
とは言え、借りる店は居抜きの物件で、元々バーかスナックだったのだろう、いかにもなカウンターテーブルが設えられている店である。
僕と宇田さんは店のイメージを話し合って、空間を贅沢に使い、ビリヤード台やダーツ、ピンボール等を置いた洒落た店にする事に決めたのだ。
さて、おかしな事はその内装工事の辺りから始まった。僕が早朝に店のドアを開けると、誰も入ってはいない筈なのに何故かやけに強烈な線香の匂いがするのである。
慌てて店の窓を開ける。すぐに匂いは散るのだが、また少し経つと店の中にその匂いが充満する。もちろんその匂いの出所はまるで心当たりが無い。
他には、とても細かい事だが、良く物が無くなるとか、置き場所が変わってしまっていると言う事があった。そして僕自身は見た訳ではないのだが、内装工事で来ている人達が、「たまに関係者ではなさそうな人が来ている」と、そんな噂をしていた。
なんだかおかしいなと気付いたのは、その内装工事も終盤に差し掛かった頃だった。僕が煙草を吸いに階下へと降り、裏のゴミ集積所辺りで一服吹かしていると、そこで奇妙な光景を目の当たりにする。
ウチが入るバーはその雑居ビルの三階なのだが、何故か裏手の非常階段が、二階をすっ飛ばして三階へと繋がっているのである。
だが、二階へと向かうステップは確かにあった筈だった。見ればそのビルの壁面に全く足場の無いドアだけの場所が、空中に浮かんで存在していたからだ。
ただ、そのドアへと向かえる通路だけが無い。元はきっとそこにあったであろう痕跡は覗えるのだが、一体何の意味があって取り外したのか、とても雑な工事でそこの通路は溶断されて無くなっていた。
「どうしたの?」と、そこに突然声が掛かり僕は驚く。振り返ればそれは同じビルの一階に入るイタリアンレストランの店長で、どうやら僕と同じく休憩に来たらしい、煙草を一本口に咥えながら、「あれの事?」と、察したかのように謎の二階のドアを指差した。
「なんか前からああだったよ。とりあえず俺がここに来た頃には既にあんななってた」
そう言えばと、思い出す。この雑居ビルを表側から見上げると、何故か二階の窓だけが板で塞がれ何も見えなくなっているのだ。
更に言えばエレベーターにも問題があった。一階から、三階と四階へのボタンは存在していると言うのに、何故か二階のボタンだけ数字も何も無い空欄のボタンになっているのである。
「たまにその二階にエレベーターが停まっている時あるよ」と、店長が言う。
その上、たまにこうして裏手で煙草を吸っていると、あの空中に浮かぶ二階の窓から明かりが漏れている時があると言う。
休憩を終えて僕はエレベーターに乗り込む。二階のボタンを押すが、思った通りにそこだけ明かりが点かない。
今度はエレベーターを降り、表階段から二階へと向かう。だがやはり二階のフロアに出る通路は無く、防火シャッターが降りたきりまるで開きそうに無い。それどころかそのシャッターに貼り付けられているポスターやチラシの類は相当に古いものもあり、長い年月、そこが開閉されていない事を物語っている。
「宇田さん、なんかここの二階、おかしいですよ」
言うとオーナーもまた、「俺も気付いてた」と言うのだ。何度もそのビルの管理会社にその件で問い詰めたのだが、何故かそこだけ役所管理となっていると言うのである。
「もしかして事故物件では?」とも聞いたのだが、「それは無いらしい」と宇田さんは言う。だがそれでも、借りたフロアの賃貸料は不思議な程に安かった。
やがて工事も終わり、無事に店はオープンした。あれから数人ほど従業員も募り店もそこそこには順調な滑り出しを見せた。
だがやはり前にあった線香の匂いと謎の人影の噂は絶えず、従業員もそれなりに怖がっていた。
ある日の事、厨房担当の子が「幽霊を見た」と言い出した。
厨房奥の勝手口から倉庫へと向かう人影を見て、酔っ払って迷い込んだ客だと思ったらしい。後を追えばもうそこには誰もおらず、僕へと報告しに来た次第だと言う。
閉店後、オーナーが店にやって来た。僕がその事を話せば、「もしかして」とオーナーは倉庫の前のカーペットを剥がし始めた。
そこには、階下へと向かう非常口があった。厳密に言えば一つ下の共用部分へと向かえる脱出口である。見上げれば同じように、四階から降りて来られるドアが天井にもあった。だが――
「溶接されている」と、僕は呟いた。そこは火事などの災害があった時に使う重要な場所であると言うのに、何故か人力では開ける事が不可能なぐらいにしっかりと溶接されてしまっているのだ。
「ここから来てるんじゃないかな」と、オーナーは言う。実際それは僕も同感だったが、そこを頷いてしまうと、話はとてもややこしい方向になってしまう。
「こっちが駄目ならば――」と、オーナーは階下へと向かい、ウチと同じく閉店後の後片付けをしているイタリアンレストランのドアを開けると、「厨房見せてもらえませんか?」と、店長に断りずかずかと踏み込んで行ってしまう。
見ればそこの共用部分の天井は、溶接されていなかった。オーナーの宇田さんは深夜と言う時間帯などまるで気にせず、脚立を借りてそのドアを押し開く。
「行けそうだ」と、天井裏スペースを越えて今度は二階のドアをこじ開ける。
階上は真っ暗らしく、そこの店長に懐中電灯を借りて再び宇田さんは登って行く。そして僕もその後に続き、何故かレストランの店長までも一緒に付いて来た。
階上は、強烈な線香の香りで包まれていた。あの謎の匂いの原因はここからだと、僕は察した。
「開けるぞ」と宇田さんは言い、そこのフロアのドアを開く。同時に僕ら三人は悲鳴を上げた。
暗闇の中、一斉にこちらへと振り向く、人、人、人――
それは全く共通性の無い老若男女で、中には片腕が無かったり、半ば白骨化した死体のような者もいた。
我先に非常口から逃げ出す僕ら。同時に僕は、二階の非常口がどうして溶接されていたのかが理解出来た。
翌日、僕と宇田さんと一階の店長の三人で、もう一度その二階の謎について問い合わせをしてみた。もちろん昨夜見た、人の群れの事も語った上である。
午後、役所の者だと言う男性が来て、二階を案内してくれると告げた。何故かその人の服装は喪服であり、手には数珠を提げている。
四人でエレベーターに乗り込み、ドアが閉まると同時に備え付けの非常用受話器を取り、「二階へお願いします」と言うのだ。
やがてエレベーターは動き出す。普段は停まらない筈の二階で停止し、ドアが開く。
僕らは昨夜の一件があり自然に身構えたのだが、そこに見えたのは図書館のような規則正しい棚と、そこに納められたおびただしい数の骨壺だった。
「無縁仏です」と、その喪服の男は語った。
それは不法に投棄されたり、電車に忘れられたまま取りに来なかったりと、なんらかの理由で行き場の無くなった遺骨が集まる場所だった。
確かに、厳密には事故物件では無い。だがやはり心苦しいものはあったのだろう、ビルの所有者はそれまでに掛かった費用の全額を負担してくれ、店はなんとか他の場所へと移る事が出来たのである。
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