#501 『眠くなる部屋』
私は大学を卒業後、実家を離れて憧れの都会暮らしを始めた。
だがそれも一年しか持たなかった。あまりもの仕事の重責に堪えきれず、心を病んでしまったのだ。
実家へと戻れば誰もが歓迎してくれた。もうずっとここにいて、アルバイトでもしてろと言ってくれたのだ。
だが精神の安定はなかなか捗らず、特に不眠症にはとても悩まされた。
ある夜の事。眠れず居間で腐っていると、起きて来た父がこう言った。「開かずの間、開けちゃろうか?」と。
確かに実家には一つだけ、開かずの間が存在していた。通称、“眠くなる部屋”で、家族の誰もが「あそこ入ると猛烈な眠気が襲って来る」と言っていた部屋だ。
元は曾祖母が使っていた部屋らしい。曾祖母もいつもその部屋でこっくりこっくりと寝ていたらしく、亡くなってからは「あれは婆さんの呪いが掛かってる」と、冗談混じりにそう伝えられていた部屋なのである。
私は遠慮したのだが、「眠いのに眠れない辛さは分かる」と、父は部屋を開けて掃除をしてくれたのだ。
さてそれから数日後、物は試しと私はその部屋を使ってみた。
狭い部屋だった。僅か四畳もの小さな和室に、箪笥と姿見が置いてあるだけの簡素な部屋。
夜はさすがに怖いので、夜が明けて日が昇ってからその部屋へと足を踏み入れたのだ。
横になり、本を開き、読めたのは僅か数行のみ。私はあっと言う間に眠りに落ちて、ぐっすりと夕方まで眠りこけてしまったのである。
半年ぶりに満足の行く睡眠を得られた私は、もうその部屋無しではいられなくなってしまっていた。
自分の部屋から布団を持ち出し、曾祖母の部屋に敷く。夜の八時には布団へと潜り込み、誰からも起こされないのを良い事に、たっぷりと翌日の昼近くまで眠る癖が付いてしまった。
やがてそんな生活が定着する頃、私はその部屋で起きるとある現象に気付く。それは、寝ている間に確かに“誰か”が、私の背中をさすったり呼吸に合わせて背中をトントンと叩いてくれていると言う事。最初は気のせいだろうと思っていたのだが、時折やって来る眠りの浅い瞬間に、それを感じる事があったのだ。
「そりゃあ婆さんがお前を守ってくれてるんだろう」と、家族の誰もが言う。そして私もそう思っていた。
ある晩の事、またしても浅い眠りの中で誰かが背中をさすっているような感覚があった。
私は懸命に起きようと頑張るが、どうしても眠気の方が勝っていて、身体が言う事を利かない。
翌朝、すっかりと目が覚めてから、私は布団ごと自分の部屋へと移動した。もう二度とあの部屋は使わないと心に決めたからだ。
「どうして?」と父は聞くが、「どうしても」としか言いようが無い。
たまたま部屋の隅に置かれてあった姿見で、私の背中をさすっているのが曾祖母ではないと言う事を知ってしまった以上、気持ち悪くていられないと思ったからである。
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