#496 『祖父が連れて来た彼女』

 何から何まで理解出来ない事件が起きた。

 まず、我が家の祖父が年齢に見合わない程の若い女性を家に連れて来た所からその事件は始まった。

 名前は梨花(リカ)さんと言うらしかった。年齢は聞いてはいないが、僕よりも若干年上だろうぐらいの若さである。

 家には、三十年前に連れ合いを亡くした祖父と、嫁に逃げられた父。そして彼女のいない僕と言う、しょうもない男だけの家庭環境だった。そこに突然、若い女性が加わったのだ。

「今日から一緒に住む」と、祖父は言う。僕も父もそれには反対しなかったが、違和感はとても大きかった。

「騙して取れる金なんて無いぞ」と、聞こえないように父は悪態を吐く。だが、どうにも詐欺には見えない。二人はまるっきり彼氏、彼女のような態度で、仲睦まじく振る舞っているのだ。

 ただ、問題はその晩の内に起きた。深夜に程近い時刻、祖父の部屋から梨花さんの声が聞こえるのだが、その声と言うのがどう聞いても“読経”なのである。

 経は、明け方近くまで続いた。やがて祖父のいびきが聞こえ始めた辺りで、その経は止む。梨花さんが起きて来たのはその翌日の昼近くであった。

 そんな生活は一週間ほど続いた。ある日の事、「一旦、実家へ戻ります」と梨花さんが出て行き、三十分程経った頃だった。テレビを観ていた祖父が突然痙攣し出し、目を見開きながら小さな声で、「助けてくれ」と言うのだ。

 どこが苦しい? どうすればいい? そんな言葉を投げ掛けつつ父と僕とで慌てていると、祖父は震える手で僕の肩を掴み、「寺へ」と言うのだ。

 父が車を出し、祖父を車へと乗せて、家の墓のある寺へと急ぐ。到着するや否や、そこの住職は祖父を見て、「とんでもないものに憑かれましたな」と言うのだ。

 お祓いの儀式は一時間にも及んだ。住職は、「祓い切れんが、当面は大丈夫でしょう」と、祖父を解放した。

 帰る途中、「憑かれたって、何の事だ?」と父が聞く。「思い当たるのは梨花さんぐらい」と僕が言えば、「だがありゃあ生身の人間だぞ」と父は首を傾げる。

 家へと着くなり、祖父はよろよろと家の中を探索しながら、梨花さんの名前を呼ぶ。だが結局、梨花さんはその晩は帰らなかった。

 やはり祓われたのは梨花さんだったのかと納得し始めた頃、ようやく彼女は家へと戻って来た。祖父はとても喜んだのだが、梨花さんは祖父の手を取り寝室へと向かい、「絶対に覗かないように」と怖い口調で言い残し、いつもの読経が始まった。

 読経は五時間にも及んだ。夕刻、げっそりとした表情で部屋から出て来た梨花さんは、その手に小さな小瓶を持ち、「全部終わりました」と僕らに丁寧に頭を下げた後、「お爺さんに申し訳なかったと伝えてください」と、家を出て行ってしまった。

 以降、梨花さんが家に姿を見せる事は無かった。そして祖父は、その一連の出来事を全く覚えていないのである。

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