#481 『耳の奥で』

 以前、#428等で掲載させていただいた、“ゆーろ”さんの体験談を、何話かに渡ってご紹介したい。

 ――エレベーターの上昇や、山登りの最中に気圧の変化で耳がおかしくなると言う経験は、誰にでもある事と思う。

 だが私の場合はそれ以外にも、同じ現象が起こる事が多々あるのだ。

「あっ」と小さく呟き、私は両手で耳を押さえた。川沿いの直線道路の一画での事だ。

 それを見た運転中の上司は、「どうかした?」と、助手席に座る私を見て笑った。

「あ、いいえ、なんでもないです」と答えはしたが、実際は気が気では無い。今、間違いなく、私が乗った車は“いわくあり”の場所を通過したのだ。

 言っても仕方のない事なので黙ってはいたが、珍しく耳の奥で音が弾けるぐらいの圧が来たのだ。きっとかなりの“いわく”がそこにあったのだと思う。

 その日私は、会社の上司と外回り営業へと出ていた。普段ならばそんな仕事は無いのだが、営業の方々が揃いも揃ってインフルエンザに掛かり、仕方無く頭数程度に駆り出されてしまったのだ。

 向かった先でも似たような事があった。山道を走っている最中、カーブの曲がり角に立つ女性の姿が見えたのだが、その前を通り過ぎる瞬間に、またしても耳の奥に圧が掛かった。

 そんな私の仕草を見て、とうとう上司は「何があったの?」と真剣な口調で聞いて来る。

「いえ、別に何も……」と誤魔化すと、上司は素っ気ない態度で、「カーブの所の女の子、見えてたんでしょう?」と聞くのである。

 帰り道、朝通った川沿いの直線の道を走る。そして私の耳に圧が掛かった場所の少し手前で車を停めると、「あそこ、二日前に練炭自殺した人がいたんだよ」と、上司は言うのだ。

 何でも道路脇に車を停め、内側から丁寧に目張りをした後、助手席に置いた七輪で練炭を燃やしたらしい。

「話題にはならなかったから知る筈無いんだけど、君には分かったんだね」と、上司は言う。

「耳の気圧が変わるのは本当だよ」と言い、その場で車をUターンさせる。「尤も、人によって症状は違うらしいけどね」と、会社に向かうのに遠回りなコースを辿りつつ、上司はそう言って笑ったのだ。

 後日、M美と一緒に街で買い物に出掛けていた時の事。向こうから来る時代錯誤な服装の女性が、私とM美の間を無理に通り抜けようとしたその瞬間――

 キーンと音がして、耳の奥に圧が掛かる。同時に横で、M美は両手でこめかみを押さえていた。

 二人同時に振り返る。私達の間を通り抜けて行った女性は、真っ直ぐ歩いて行きながらもこちらを見ていた。

 顔が、こちらを向いている。要するに首がねじ曲がって、顔だけが真後ろを向いていたのだ。

 あぁやっぱりと、思う反面、M美は若干私とは症状が違うのだなと言う方向に関心があり、私はそっと彼女の方を見る。すると向こうも同じ気持ちか、私を見て「ふふっ」と笑ったのだ。

 気が付けば真後ろを向いている女性はもういなかった。

「耳の気圧が変わるのは本当だよ」と話す、上司の言葉が思い出された。

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