#468 『閉所・裏』

 私はある時から、女子トイレの鍵開け係に任命された。

 会社自体は中小で、人数的にも二十五人程度。工業と言う職業柄、圧倒的に男の数の方が多い。だが一応は、女子社員もいる。そんな女子社員のもっぱらの悩みは、時折無人の筈のトイレのドアが閉まる事。私は事務職ながら、何故かその女子トイレのトラブル係にされていた。

 最初の頃は会社中の男性に、「堂々とセクハラ出来ていいな」と馬鹿にされたものだが、女子社員が入る度に“勝手にドアが閉まる怪異”に見舞われ、その内には誰も茶化しに来る事は無くなった。

「お手数掛けて申し訳ありませんが……」と、最近入ったばかりのパートさんが私の元に来る。私は深い溜め息を吐きながら、「すぐ行きます」と、一階のトイレへと向かう。ドアを開ければ、三つある個室の一番奥のドアが閉まっている。

 ドアの表側にノブは無い。内側の閂(かんぬき)型の鍵を施錠する事によってドアが閉まると言う単純な仕組みなだけに、人が内側にいなければドアが閉まると言う事は有り得ない。

 正直、そこが怖いのだ。私はいつもこうやって呼び出しを食らう度、脚立に乗って個室の内側を覗く。その都度、下から笑顔で見上げている見知らぬ女性の姿を想像し、私は戦々恐々とする。だがしかし、その内側に誰かがいた試しは無い。私は杖で閂を開け、黙ってそのトイレを後にするだけだ。

 ある時、妙な呼び出し食らった。「なんだか様子が変なんです」と言われ女子トイレへと向かえば、今まで見た事も無い、ドアの二つが同時に閉まっているのだ。

 空いているのは真ん中の個室のみ。手前と奥が閉まっていると言う状況だ。

 私はいつも通りに鍵を開けに向かう。まずは手前のドアを開け、そして次に奥のドアを手掛けていた時だ。「ぎぃぃぃぃぃぃ」と音がして、続いて「バタン」とドアの閉まる音。見れば今しがた開けたばかりの手前のドアが、またしても閉まっているのである。

 もしかしたら女子社員の誰かが入ったのではと思い、ドアをノックしながら、「入ってますか?」と呼び掛ける。するとしばらくの間を置き、「入ってます」と返答がある。だがしかし、その声は会社のどの女子社員の声とも違う気がした。

 だが、返事があった以上開ける訳にも行かない。私は脚立を持ちながらトイレを出ようとしたその瞬間――

「バタン――タタタタタッ」と、背後でドアの開く音と、走る足音。

 私が振り返るのと同時に、個室の向かい側にある手洗い場の鏡の中に、“何者か”が飛び込んで行ったような気がした。

「気がした」と言うのは、見た訳ではないと言う事だ。ただその振り返った一瞬の間に、そんな出来事が視界の片隅で起こったような感覚があったのだ。

 その時、私は気付いてしまった。空いた個室の中を見て、「こりゃ駄目だ」と呟き、社長を呼びに行った。

 私は社長に、その女子トイレの内側に張られた鏡面仕上げのステンレス板を外すようにお願いした。

「合わせ鏡です」と、私は告げた。手洗い場の鏡と向き合うように、個室の中の磨き上げられた金属板がある。

「合わせ鏡って、何?」と。社長が呆けた顔で聞く。そんな社長の顔が、無限に連なって映り込んでいた。

 ――尚、今回の話は前日に載せた話とかなり酷似したものであったが、良く良く聞けば場所も社名もまるで違うものだった。

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