#461 『通り過ぎる者』
知人のOLさんから聞いたお話し。
――近年スマートフォンの普及に伴い、依存しているかのようにスマホを肌身から離せなくなっている人が急増している。
かく言う私もその範疇な人間だ。仕事中でも、ふと手が空けばすぐにモニターを開いて通知等の確認をしてしまう。
食事中でもスマホ。歩いていてもスマホ。自分でも少々病的なのは分かっているが、中毒のようにやめられないのだ。
最近では会社のトイレの個室にこもり、スマホに触れている事が多くなった。ここならば誰にも見咎められる事が無いからである。
ある時、便座に腰掛けながらぼんやりとアプリの起動を待っていた。すると私のいる個室の前を誰かが横切り、奥の方へと向かって行った気配があった。
ドアを開けて見た訳でも無いし、足音が聞こえた訳でもない。ただ、ドアの下の隙間から、人の影とおぼしきものが通り過ぎて行ったからである。
あぁ、もう十五分もサボっちゃった。思いながら私はスカートを直し立ち上がる。
ドアを開けて外へと出るも、私のいた個室より奥は全てドアが開いていて、まるで人の気配が無い。
気のせいか――と、その時はそう思った程度で済んだ。
それから数日後、前の日の飲み会のせいでスマホの充電量が足りなく、その日は朝からずっと電源を切っていた。おかげでトイレの中でも手持ち無沙汰。中毒症状が重なり、やけに苛立つ。
ふと、目の前のドアの外を誰かが横切る影が見えた。あぁ、そう言えば先日もそんな事があったなと思い出すのだが、影は一体何をしているのか、私の個室のドアの前を行ったり来たりと繰り返し、時にはそのドアの前で立ち止まったりするのである。
やはり、足音は聞こえない。だが確実に誰かがいると言う事だけは分かる。
私は残りの充電量が足りないスマホの電源を入れ、それをカメラモードにして、ドアの下の隙間からそれを外に出して、シャッターを切った。
カシリと乾いた音がする。私はそれを裏返し、モニターを見て――あらん限りの悲鳴を上げた。
駆け付けて来てくれた女子社員達に助けられながら、私は無事にトイレを出た。そして誰もが私のスマホの画面を見て、眉をひそめている。
「もう私、ここのトイレ使えません」言うがそのフロアにはここしかトイレが無い。
すると一階の警備員さんが、「ちょっと遠いけど、宿直所のトイレ使ってもいいよ」と言ってくれたのだ。
私は安堵して、早速その日から一階の警備室へと出向いてトイレを借りた。
少々汚いのだが、運の良い事に、そこのトイレはドア下の隙間が無いタイプのものだった。
用を足しながら、私はスマホの電源を入れる。一体さっきのは何だったのだろう。もう二度と見たくはないと思ったのだが、消す前にもう一度と、トイレの便座に腰掛けながら撮った写真を確認する。
目を見開き、口を大きく開けた見知らぬ女性の顔のアップ。私がドア下からスマホを出したのを見付けて、覗き込んだかのような姿勢である。
嫌なもの撮っちゃったなと、それを消去しようと操作していた時だ。
ふと、トイレの部屋の灯りが翳る。スマホのモニターに、“消去しました”の文字が表示される。
文字だけの暗い画面が光を反射し、覗き込む私の背後をシルエットで照らしている。
私の個室の真上に、誰かがいた。光が翳ったのではない、“誰かが”頭上から光を遮ったのだ。
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