#455~457 『奥座敷』

我が家は先祖代々、地元ではかなりの権力者であったと聞いている。

実際、祖父から父に受け継がれたものは相当に多く、ここいら一帯に建つスーパーマーケットやガソリンスタンド、パチンコ店、その他様々な店舗のほとんどが、父の経営するものであった。

何十店舗も店や会社を経営する父は、その肩書き通り、とてもいけすかない性格だった。人に対する態度と言動は命令し慣れた人間そのもので、人を人として見ていない態度がありありと見えていた。

僕には兄が一人いた。二歳年上の高校三年生。兄の名前が“真一”で、僕の名前は“慎二”と言う、実にひねりのない名前の兄弟だった。

父はことある毎に、「お前らのどちらかが家を継ぐんだぞ」としつこく言っていたが、実際の所は僕も兄も、「継ぎたくない」が本音だった。要するに、親父のようにはなりたくないのである。

ある日の事、祖父の弟に当たる人が危篤と言う知らせを受け、両親と祖父とで出掛けて行ってしまった。しかも、三人共に夜遅くまで帰らないと言う。

三人が乗る車を見送りながら。僕と兄は微笑みつつ目配せをした。とうとうかねてより計画していた事が実行に移される時が来たのだ。

目的は、家の“家長”以外は誰も足を踏み入れてはならないとされる奥座敷。どうせ兄も僕もこの家を継ぐ気は無いし、もう何年かしたならば上京して、東京暮らしをする予定なのだ。ならばどちらもその奥座敷を見る事が叶わない以上、最後ぐらいこっそり拝見させてもらおうかと言うのが、その目的の主旨であった。

奥座敷には、神託を授ける神が住まうと聞かされていた。この家が常に幸運に恵まれ続けていたのは、その神のおかげらしい。もしも家の事で迷う事案が発生したなら、その神に逢って相談すると良いのだと言う。

それが本当か嘘かは知らない。だが父も祖父も、僕達がその奥座敷に近付く事にはとても敏感で、好奇心からそちらを覗き込むだけでも、激しく怒鳴られた事は何度もあった。つまりはそれだけ、“隠しておきたい事”はあるのだろう。

僕と兄は、仏間の前に立つ。何故か仏間は廊下よりも数段下に位置しており、何段かの階段を降りて行かねばならない。

仏間の戸を開ける。そこは結構な広さの部屋で、真正面に鎮座する仏壇以外には何も無いと言うそんな場所だ。

僕らが普段入れるのはそこまで。いや、厳密には仏間にすら理由無く入れてはもらえないのだが。

奥座敷は、その仏壇の真裏にあった。仏壇の左右から奥へと入れる小さな廊下があり、その真後ろから入れるようになっているのだ。

僕が右から。兄は左から進んで行った。記憶にある通り、廊下は屏風で塞がれていた。しかもその屏風と言うのは、寺などでたまに見掛ける、“曼荼羅絵図”なのだ。

昔、僕がその屏風を盗み見た事に腹を立て、父に吹っ飛ばされる程のビンタを食らった事がある。その時の事を思い出し、あんたがそれだけ見せなくなかったものを今日見てやるぞと、この場にいない父に向かい、胸中でいきり立って見せた。

僕と兄は両方からその屏風を退かし、襖の前に立った。

そこからが、奥座敷なのだろう。襖自体からやけに強い“念”のようなものを感じる。

そっと、襖を横に引いた。そこは想像していたよりは明るい、六畳敷きの小さな部屋だった。

左手側が全面の障子戸で、明かりはそこから充分に取れていた。僕らはそこに踏み込む。

問題の神託の間は、更にその奥だろうと予想が付いた。真正面には更に閉じられた襖がある。僕らはその前へと立ち、襖を開けた。だが――

「まただ」と、兄が言う。開けた先には今僕らがいるのと全く同じ間取りの部屋があり、更にその奥があると言うように襖が閉じられているのだ。

近付き、開ける。また同じ部屋。そしてまた近付き、開ける。またしても同じ部屋。

幾度も幾度もその動作を繰り返し、これはもしかして同じ場所を行ったり来たりさせられているのではと疑って後ろを振り向けば、今まで通って来ただろう襖の開いた部屋が背後にずっと続いているのだ。

「俺ん家って、こんなに広かったっけ?」と、兄。

「いや……さすがにこれは有り得ない」と、僕。

そこでようやく、僕と兄は、“入ってはいけない”の意味が分かり始めた。

だが、ここで引き返す訳にも行かない。僕と兄は勢いを付け、開けてはまた次の襖、開けてはまた次の襖と進んで行った。

やけに強い疲労が感じられた。歩く足がだるく、襖を開ける手もだるい。見れば体育会系の僕とは違い、あまり運動は得意でない兄は、息まで荒くなっている。自然、襖を開ける速度は目に見えて落ちて行った。

「これ……奥に進むほど疲れてこない?」聞けば兄は、「俺もそう思う」と言う。

ゆっくりと後ろを振り返る。見ればもう既に、最初に入って来た部屋は遙か遠くで良く見えない。

「どうする?」と聞けば、「ここまで来たんだ、神様にだけは逢って帰る」と、汗を拭いながら兄は言う。

以降も、重い足をひきずりながら、次の部屋、次の部屋と進んで行く。

やがて、今までの部屋とはまるで違う場所に行き着いた。中央に、金箔を張り付けただろう美しい屏風が置かれており、その後ろを覗けば座布団が一つ、敷かれてあった。

いかにも、神様と対面する場所のように感じる。だが不思議なのは、その奥にもまだ部屋があるかのように、襖が閉じられているのだ。

ここにいる――と、直感した。ぴりぴりと、電気でも流れているかのように身体がひりつく。見れば兄の表情も、今までに見た事が無いぐらいに真剣だ。

「行くぞ」言われて僕は頷く。そして一斉にその襖を開けると、そこは暗闇だった。

かろうじて、僕らのいる部屋の明かりがそこに射し込み、ぼんやりとは見る事が出来た。そこそこには大きな部屋で、床の間に祭壇が飾られている以外には何も無い。

やはり神なんてものはいないんだなと、諦めて戻ろうとした時だ。何を思ったか兄は倒れるようにしてその場に寝転び、敷いた座布団を枕のようにしながら横になると、「俺、もうここで寝る」などと言い出す。

「馬鹿言ってんじゃねぇよ。帰るぞ」と兄の手を取るが、その手はだらしない程に弛緩していて、もはや瞼すらも閉じ、本気で寝そうになっているのだ。

僕はそれを眺め、「ごめんな」と呟き、寝そべる兄の腹に思い切りの拳を放り込む。苦痛でうめき、目を覚ました所を無理矢理に立たせ、「戻るぞ」と、肩を担いで仏間の方へと歩き出した。

最初は引き摺られるようにして歩いていた兄だが、一歩毎に気力が戻るのか、次第に自力で歩き出すようになって行く。

「こんな家出て、東京行って、一緒に暮らす約束じゃんよ」と僕が言うと、兄は「そうだな」と笑う。その時だった――

背後に、強烈な“念”を感じた。刺すような視線と、震えが来るほどの怒気。兄が、「絶対に後ろを見るな」と言うので、僕もまた「分かった」と頷く。

「後、二部屋。このまま担いでいてくれ」と、兄。言われた通りに残り二部屋、肩を貸していたのだが、突然兄がそれを振り払い、「慎二、走れ!」と、駆け出した。

僕達は並走しながら、無我夢中で駆けた。遙か遠くにあった仏間の出入り口は見る見る近付いて来て、最後の一部屋を出た瞬間、僕と兄はそこの襖を「バン!」と閉め、深い溜め息を吐いた。

そこでようやく、僕等の失態に気付く。全ての襖を開けて来たはいいが、何一つ閉めては来なかったのだ。

「どうしよう、絶対に親父に気付かれる」

だがもう遅い。再び奥まで行って、全ての襖を閉めて戻るなどと言う芸当は、絶対に無理だと感じた。

結局、気付かれたならもうそれまでと言う事で腹をくくり、僕と兄はそのまま屏風を戻して仏間を後にしたのだ。

驚いた事に、僕等が居間へと戻れば、親父達が出て行ってからまだほんの三十分しか経っていない。だが僕等が体感した時間は、半日以上と言う印象なのである。

夜更けに、両親と祖父は帰って来た。僕等はいつ父に気付かれるかでひやひやしていたのだが、運良くその晩は何事もなく済んだのだった。だが――

それから三ヶ月が経った。未だ、親父は何も言って来ない。

言わずに我慢している様子でも無い、まるで僕等の所業に気付いていない感じなのである。

やがて兄が高校を卒業し、東京の大学へと進学した。そして僕はそれから二年後に卒業を果たし、東京での就職を希望した。

兄が呼び戻され、とうとうその日がやって来た。どちらが家長を継ぐかと言う問いに、僕等は同時に「ここにはいたくない」と言う回答をする。

結果、僕等は二人ともに勘当を言い渡された。父は「養子を探す」と告げ、僕等には当面の学費と生活費を約束した後は興味すらも失せたように、いざ上京と言う日には見送りにも来てはくれなかった。

やがて約束通りに僕は兄のアパートへと転がり込み、東京での新居生活を送る事となった。

もちろん実家に比べたら笑ってしまうほどに狭い空間での生活だったが、それでもあの窮屈さを考えたらならば、今の暮らしの方がよほど刺激的だった。

それから数年が経ち、僕個人もそろそろ就職活動かなと思い始めた頃だった。田舎の母からの急な連絡で、実家が全焼したと言う知らせを聞いた。

当然、僕と兄はすぐに帰郷した。残念な事に、無事だったのは母だけで、父と祖父は家と共に焼死体で発見されたらしい。

祖父は寝ていたまま煙に巻かれたらしい。寝室で見付かった。

おかしいのは親父の方だ。父の遺体は身元不明の女児の遺体と共に、寄り添うようにして倒れていたらしい。僕は母に、「養子にもらった子では?」と聞いたが、父は誰かを養子にもらうどころか、そんな素振りも見せてはいなかったと言う。

父とその子の遺体は、火元である奥座敷から見付かった。

僕と兄は、もう既に残骸程度になってしまった家の前に立ち、父の遺体のあった場所に見当を付ける。

奥座敷のあった場所は、せいぜい二間程度の広さしか無く、あの時僕等が通った、長い長い襖だらけの部屋など、どこにも詰め込めそうにはなかった。

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