#450 『衣擦れ』
筆者の体験談を一つ。
私がまだ小学生の頃の事だ。理由あって、親元を離れて親類縁者の元を転々としていた時期があった。
引き取られたのは、町から離れて奥深い、とある集落の親戚筋だった。
そこには“雅依(まさい)叔母”と呼ばれる、当時六十代半ばの老婦人が一人で暮らしていた。
私の祖母の妹に当たる人なので、正しくは大叔母になる人だ。とても細かい人だったが、私にはとても優しかったと記憶している。
夜は、雅依叔母と同じ部屋で寝ていた。狭い家だったので、他に寝る場所と言えば仏間ぐらいしか無かったのである。
但しその寝室は子供心に、仏間よりも更に薄気味が悪かった。なにしろ奥まった壁の一面には大小とりどりな日本人形がぎっしりと並べられており、中には直視が出来ない程に嫌悪を感じる人形までもが存在していた。
ある早朝の事だった。隣で寝ている叔母が立てているのであろう物音で、うっすらと目が覚めて行った。
すさっ――すさっ――と、衣擦れの音。うつ伏せの姿勢のまま、うるさいなぁと目を開けると、目の前には着物の裾からはみ出る、足袋をはいた女性の足があった。
瞬時に、「叔母さんではない」と悟る。まだ夜が明けやらぬ暗い部屋の中、そっと隣を見れば叔母の布団は既に畳まれている。
私は恐怖のあまり声も出ず、黙って布団へと潜り込み、頭まですっぽりと中に入った。
しばらくは何も聞こえなかった。なんとなくだが、私が起きた事を勘付いたのか、枕元の着物の女性が頭上で私の動向をうかがっているような気配がしていた。
遠くに、叔母のものだろう家事や食事の準備をする音が聞こえる。私が寝室でそんな怪異に遭遇しているなど、まるで気付いていない様子である。
しばらくするとまた、すさっ――すさっ――と、衣擦れの音が始まる。私はなんとなくだが、舞踊か何かを踊っているのではないかと思った。
その衣擦れの音はなかなか止まない。私は必死に恐怖をこらえ、布団の中で汗びっしょりになっていた。
やがて時間となったか、叔母が部屋を覗きに来る音がした。私の名を呼び、「そろそろ支度せんと――」と、言い掛けた辺りで、「ひぃやぁぁぁぁぁ」と叔母の叫び声。その瞬間だった、私はすかさず布団から飛び出て戸口でへたり込む叔母を引き摺り、玄関まで連れて行った。
叔母は、失神していた。夜には別の親戚筋の人が来て、私はそちらに預けられる事となった。
私は叔母に何があったのかを聞きたかったのだが、叔母は頑なに私を拒み、それきり会話も無く別れた。
それから約、四十年もの歳月が過ぎた。私はこれを文章にすると言う前提で、思う所あってストリートビューにて雅依叔母の家を探してみる事にしたのだ。
家は、既に無かった。おそらくは取り壊されて長い時間が経ったのだろう、既にその辺りは木々に覆われ、雑草に埋め尽くされていた。
ただ、その木々の暗がりの中にぽつんと、女性らしき人影が後ろ向きで立っているのが確認出来た。
もう既に亡くなって久しいと言うのに、何故かその人影が雅依叔母の後ろ姿であるような気がしてならなかった。
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