#447 『雨の日の足音』

 雨の日の事だ。電車を乗り継ぎ、伯母が家へと遊びに来た。

 伯母さんの家の子供達も一緒で、今年高校生になる長女の夏紀ちゃんは相変わらず大人しく挨拶するのに対し、まだ小学生である長男の智彦は玄関を上がるなり、家の二階へと上がって行ってしまった。

 珍しく伯母は、そんな智彦の行動を咎めもせず見送っていた。いつもならば行儀の悪い事に対してはとても口うるさい人なのだ。

 伯母がお土産に買って来たケーキは、合計五つあった。それを全てテーブルに並べ、お茶も五人分用意する。その間も智彦君は二階で何をしているのか、かなりの五月蠅さだった。

「ケーキ出したよ。降りておいで」と、私が階下から声を掛ける。応えは無いが、その時だけ足音が止んだのを見れば、聞こえてはいる感じだった。

 皆がケーキを平らげても、まだ智彦君は降りて来る気配が無かった。相変わらず二階からは激しい音が続いており、さすがに温厚な母も険しい顔をし始める。

「ところでお宅の旦那、今日は何やってんの?」と、伯母。

「お父さん? 今日も相変わらずの休日出勤よ」と、母。すると伯母は、「じゃあこのケーキ、しまっておきなさいよ」と、智彦君の分を指してそう言うのだ。

「いや、智ちゃん後で食べるでしょ」

「何言ってんのよ、智彦なんかどこ遊びに行っちゃったか分からないし」

 どうにも話が噛み合わない。良く良く聞いてみれば、智彦君は早朝からどこかへと出掛けたらしく、伯母さんは夏紀ちゃんと二人きりで家に来たのだと言う。

 要するに、五人分のケーキは智彦君ではなく、最初から父の分だったのである。

 ならばこの二階の物音は誰なんだ? そんな疑問が皆の脳裏に浮かんだその時、ダダダダダッと足音がして、二階の廊下を走り、階段を駆け下り、そしてその足音はドアを開けっぱなしにしているリビングの戸口の前まで来て止まった。

 誰もいない。姿も無い。だが確実にそこに誰かが立っている。そんな気配があった。

 誰も何も話せないままだった。ただ、屋根を打つ雨の音が聞こえるだけ。

 最初に沈黙を破ったのは、家の固定電話だった。母がそれに出ると、先方は祖母のようで、智彦君が一人で家に来たと言う連絡だった。

 智彦君が目を覚ますと、家には誰の姿も無い。慌てて家中を探すも気配が無く、仕方無しに隣の祖母の家を訪ねたのだと言う。

 尚、今でも雨の降る日には、二階で足音が聞こえる事がある。

 智彦でもない、父でもない“誰か”は、きっと未だに出て行ってはいないのだと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る