#443 『憑かれちゃった』

 大型商業施設にて、深夜勤務の警備員をしている。

 配属されてしばらくは日中の勤務だった。噂には聞いていたが、激務であった。無茶苦茶な理屈で絡んで来る客を相手にしたり、不審な行動をする客がいるからと呼び出されたり、とにかく心も体も磨り減る仕事ではあった。

 ある時、夜勤の仕事を任せたいと言われ、特に何も思わずに承諾をした。

 施設の閉門一時間前にモニター室へと出向き、昼勤務のリーダーと引き継ぎをする。

 今夜はベテランの沢井さんが来るので安心だと言われたのだが、勤務時間になってもその沢井さんは現れない。僕は夜勤のマニュアルを読みながら過ごしていたのだが、少ししてモニター室のドアが開き、裸体のマネキンを担いだ沢井さんが入って来たのだ。

「どうしたんですか、そのマネキン」

 聞いても沢井さんは答えてくれない。「俺ちょっと腹下してるから」と、シャワールームへと閉じこもる。モニター室は宿直所も兼ねているので、奥の方にはトイレと浴室が一体になった部屋があるのだ。

 マネキンは、部屋の隅に置かれた。服も着ていなければカツラも無い。スレンダーな裸体の女性用マネキンだ。何故か僕はそのマネキンが発する存在感に圧倒され、終始そちらの方に注意を払っていた。

 沢井さんはなかなか出て来ない。時折、「大丈夫ですか?」と聞きに行けば、「トイレ使いたいなら外の奴使ってくれ」と言うだけ。とりあえず返事が出来るなら大丈夫かと、放っておいた。

 何故か、マネキンが動いてこちらへと近付いて来るような錯覚で、ビクビクしていた。

 もちろんマネキンは動く筈もなく、全ては自分の妄想だと言い聞かせ、なんとか冷静さを保った。

 ふと、モニターのアラームが鳴る。見れば施設の中をうろつく警備員の制服の人がいる。

 あれ? 確か夜勤って二人体勢の筈。おかしいなと思って眺めていると、それは何故かトイレに籠もっている沢井さんにそっくりなのだ。

 慌ててトイレへと向かい、ノックする。返事は無い。ドアノブに手を掛けるとそれはゆっくりと開き、真っ暗なシャワールームのスイッチを押せば、そこには誰の姿も無い。

「どうして?」ここから外の廊下に向かうには、僕のいる場所を通過しないと無理な筈。

 いつの間に出て行ったのだろうと不思議に思っていると、その沢井さんから無線が入る。

「ねぇ、俺さぁ、もうつかれちゃったんだよね」と、沢井さんは言う。

「どうしたんですか?」と聞いても、まともに返答してくれない。ただ、「つかれちゃった」を連呼するばかり。モニターの前へと戻れば、既に沢井さんの姿がどこにも見当たらない。

 時刻は深夜の一時。それっきり沢井さんからの連絡は入らず、僕はさっきから気になっているそのマネキンを片付けるべく、背に担いで地下のマネキン置き場を目指した。

 初日から過酷だなと思いつつ、地下へと続く階段を降りる。深夜の物置き場は異様なほどに暗く、怖い。僕は居並ぶマネキンの群れにそれを押し込み、モニター室へと急いだ。

 途中、どこかの暗闇から沢井さんのものだろう声を聞いた。

「俺、もうつかれちゃったんだよね」

 翌日、沢井さんが辞めた事を知らされた。

「本日から夜勤担当になります、岸田です」と、その若い男の子はにこやかに挨拶をした。

 僕もまた、「よろしく」と笑顔で返したのだが、彼と一緒に仕事をするのもそんなに長くはないと言う事を、僕はまだ知らなかった。

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