#440 『逢いに来る猫』
東京の会社へと就職したはいいのだが、想像以上の労働時間と過酷さで、心が磨り減る毎日だった。
多忙ながらも気が付けば既に三年半もの時間が経っていて、我ながら驚く程であった。
ある時、実家からの電話で、僕が可愛がっていた猫の“みぃ”がとうとう自力で起き上がれなくなってしまったと聞かされた。
それはとてもとても可愛がっていた猫だった。就職だからと実家を離れる時すらも、身を裂かれんばかりに苦悩した程に好きだった猫だった。
翌日、三日ほどの休暇をもらえないかと会社の上司に相談した。
すると上司に激怒され、皆の前で罵倒されまくった挙げ句、結局休暇すらももらう事が出来なかった。みぃが亡くなったと聞かされたのは、更にその翌日の事であった。
深夜に帰宅し、足を引きずるようにしてシャワーを浴び、布団へと潜り込む。部屋の照明を消してしばらくすると、部屋の中を、「ててててて――」と、何か小動物でも歩いているかのような足音が聞こえ始めた。
照明を点ける。何もいない。そしてまた暗くすると、どこからか「ててててて――」と、足音がする。
放っておくと、今度はリビングから廊下へと抜けるドアが、小刻みにカタカタと鳴る音がし始めた。更にはそのドアを引っ掻いているのだろう、カリカリ――カリカリ――と言う爪の音。
僕は一瞬で理解した。みぃが来ていると。あのドアを引っ掻く音は、いつも洗面所に水を飲みに行く時に、「ドアを開けて」と訴えていた音だったと気付く。
僕は急いでドアを開け放つ。暗い廊下の中を、「ててててて――」と遠ざかる足音をそこに聞いた。
以降、音だけの、みぃとの同居生活が始まった。僕はみぃのために家中のドアを開け放ち、みぃが出て来る条件として、“部屋が暗い事”と言うのを見付け、光源は極力抑えて暗い家の中で生活を送るようになっていた。
ある日の事、同じ東京で就職した高校の時の友人が家へと遊びに来た。そして僕の家の中を見て、なにかしらの“異常さ”を感じ取ったのだろう、「お前、仕事変えた方がいい」と、進言するのだった。
僕は、家中を暗くしているのと、ドアを全て開け放っているのには訳があると笑った。
「実は、この家には猫がいるんだ」言うと友人は、「どう見ても猫じゃねぇよ」と返す。
見ろとばかりにドアの前に連れて行かれる。そこには確かに、ドアを引っ掻いた爪痕があった。但しそれはドアの下ではなく上の方で、その爪痕も人の手の指だろう程の間隔で、塗料が削り取られていたのだった。
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