#439 『熱に浮かされた夜に見る夢』

 風邪やインフルエンザなどで高熱を出すと、決まって見る夢がある。

 僕はどこか密林の沼の中にいる。何故か巨大な豆腐のようなものに乗り、なんとか沼に落ちないよう頑張るのだが、下手に動くとその豆腐の中にずぶずぶとめり込むので、手足を硬直させて踏ん張っているのである。

 沼はほとんど黒に近いぐらいに濁っており、時折その表面から魚なのか蛇なのか、良く分からないものが顔を現わす。

 助けはどこからも来ない。だが、自力でどうなるものでもない。僕はそっと天を仰ぐが、そこに空は無く、遙か天空には同じような密林が途方もなく広がっているだけ。

 絶望的ではあるが、どこか諦めにも似た満足感もある。そんな訳の分からない夢を延々と、一晩中見続けるのである。

 ある時、彼女と一緒に洋画のアクション映画を観に行った。すると驚いた事に、劇中で主人公の男が、僕の見る夢そっくりの境遇に陥るシーンがあったのだ。

 沼の中に得体の知れない生物がうごめき、空を見上げれば周囲には広大な密林が広がっているのが見て取れる。

 あぁ、俺は気でも狂ったのかと絶望し、それが熱に浮かされたせいで見た夢だと、目を覚まして知ると言う感じだった。

 観終わった後、僕は彼女に、「あそこのシーンがさぁ」と、自分自身もほとんど同じ夢を見ると言う事を自慢げに語ると、彼女は不思議そうな顔で僕を見て、「そんなシーン無かったよ」と言うのである。

 無い訳がない。今しがた一緒に観ただろうと言えば、そんなシーンは絶対に無かった。それはあなたの勘違いだと彼女は言い張る。あまりにも話の食い違いが多過ぎるので、結局僕達は数日後に、同じ映画を観る羽目になってしまった。

 結果、彼女の言う通り、そんなシーンはどこにも無かった。だが確かに僕は観たんだと言い張れば、「観ながら熱が上がったんでしょう」と笑われ、話はそこで終わった。

 それから二十年もの歳月が流れた。結局僕はその時の彼女と結婚し、子供にも恵まれた。

 ある時、子供向けのアニメでも借りて帰るかとレンタル屋に寄れば、大昔に妻と一緒に観た、例の映画が置いてあったのだ。

 正直、つまらない映画だった。内容もほとんど覚えてはいない。それでも懐かしさと、妻との思い出もあり、思わずその映画まで借りてしまったのだ。

 夜、一人でそれを観ようとしていると、妻がめざとくそれを見付けて、「懐かしいわね」と笑い、一緒に付き合ってくれると言うのだ。

 そうしてビール片手に映画を眺めていると、なんと、僕と妻とでほとんど口論にまでなった問題のシーンが流れて来たのだ。

「ほら、あった」とは、言えなかった。妻もすぐに気が付いたのだろう、呆気に取られた顔でその問題のシーンを観ていたのだから。

 観終わった後、「どうしてあの時は、これが流れなかったんだろう」と、二人で首を傾げた。

 翌日の朝、「どうしても納得行かない。もう一回だけ観よう」と、妻からの提案があった。

 もちろん僕は承諾した。そしてその晩、通算四回目となるその映画の鑑賞会をした。

 結果、例の問題のシーンはどこにも無かった。

 それこそ何度も何度も早送りしたり、巻き戻したりを繰り返しながら観たのだが、それらしきシーンはどこにも見付からなかったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る