#435 『痴呆となった母の最期』

 義父が他界し、一人暮らしとなってしまった義母の面倒を見る事になった。

 但し我が家もなかなかの手狭な為、格安な賃貸マンションを見付け、早々と引っ越しを決めた。

 3LDKではあるのだが、一部屋を義母に。もう一部屋は息子二人の共同部屋。残り一つは僕と嫁の寝室となった。

 だが、越してすぐに義母の行動がおかしくなった。簡単に言うと、痴呆症である。

 最初は、やけに風呂が長いなぁと感じる程度だった。息子二人も義母に遠慮して風呂を我慢していたのだが、とにかく一度入ると二時間、三時間は平気で入っていて、嫁がかなりの剣幕で「もういい加減に出なさい!」と怒るまで、水になった風呂に延々と入り続けるのである。

 おかげで、一気に生活リズムが崩れる事となった。部活動で汗だくになって帰って来る息子二人は、「もう待てない」とばかりに、駅前のコインシャワーを使うようになり、そして僕と嫁は、早起きをして朝にシャワーを浴びると言う習慣になった。

 だが、義母の痴呆は更に悪化し、時間など関係なく風呂に入り、下手をすれば朝方近くに、「もう大概にしてよ!」と言う嫁の声で叩き起こされる事もあった。

 いつしか義母は浴室の照明を点けずに入るようになっていた。おかげで、「珍しく入ってないな」と浴室のドアを開ければ、真っ暗な中で義母が浴槽に佇んでいたりする。

 もうそろそろ家族の辛抱も限界で、施設か何かに預かってもらおうと言う話が持ち上がった頃、義母は誰も家にいない時刻にひっそりと浴槽で溺死してしまった。

 さて、それで生活リズムが元に戻るかと言えば、なかなかそうはならず。むしろ逆に、浴室を使う回数は前よりも減る事となったのだ。

 とにかく、人が亡くなった場所でくつろぐと言う事が難しい。その上、その頃からだろう、浴室での怪異が度々起こるようになったのである。

 誰もいないのに浴槽に水が張ってある。もしくは蛇口からボトボトと水が垂れている。

 浴室の照明が勝手に点いていたりする。逆に、浴室を使っていると勝手に照明が消えるなど、おかしな現象が相次ぐようになったのだ。

 ある時、嫁が「もうお祓いしてもらおう」と決断し、それなりに高名な霊能者を雇って来てもらった。するとその方、マンションのエントランスをくぐるなり、上を向いて全方向をぐるりと見回すのだ。

 部屋へと案内すれば、「あぁ、なるほど」と、何も前情報を話してはいないのに、浴室へと向かってドアを開けた。

「どなたか、身内の方ですか? 老婦人がここで亡くなっておりますね」と言い当てる。

「やはり、いますか?」と嫁が聞けば、「いや、その方はもうおりませんが」と前置きし、「こりゃあ祓えないので、引っ越しをされた方がよろしいかと思います」と告げるのだ。

 なんでも、“元凶”はその浴室ではないらしい。他の階の、どこかの部屋が元凶なのだが、そこの“ヌシ”が、浴室の天井の換気口を伝って各部屋にお邪魔しに来ているとの事。

「老婦人は、身代わりになって皆さんを守ったようですね」

 言われて我々はハッとした。義母は、痴呆症になった訳ではなかったのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る