#431 『もう一人の声』
大学の友人、Tの身の回りで起きた出来事である。
ある日、Tがとても嬉しそうに、「見てくれ」と、スマホのモニターをこちらに向けて来た。
動画である。しかもどうやら、T自身が撮ったらしい動画で、どこぞへと出掛けた旅行記なのだと言う。
最初はバイクに乗りながらの、流れ行く景色の画像だった。それが延々と続き、ぼそぼそとTが喋っているだけ。とてもつまらなく、見続ける程の価値も無いと思ったので、「後でそれ送っといてよ」と言って、話を打ち切った。もちろん後で見るつもりなどまるで無い。
だが物好きはいるもので、同じくTに勧められたのだろう友人の一人が、「全部見た」と言うのである。
「どうだった?」と聞けば、「コンセプトが分からないんだが」と言う前置きの後、「かなり怖かった」と顔をしかめるのだ。
内容は間違いなく旅行記らしい。だが、行き先がどう見ても観光地ではなく、随所におかしな点ばかりが見られる不思議映像ばかりなのだと言う。
その日の夕刻、Tを除く知人達が集まり、その映像を皆で確認する事になった。
最初の二十分ほどは、僕が最初に見た通り、とんでもなくつまらない映像が続いていた。
おそらくはヘルメットに小型カメラを付けて撮ったものだろう、流れ行く景色に混じって、とても不鮮明なTの語りが入っているだけのもの。友人曰く、「ここは飛ばしてもいい」と、一気に二十分を飛び越え、現地に到着する辺りから映像を再開させた。
到着した先は、藪(やぶ)だった。どこかの農村の細い山道を辿って行き、突き当たった辺りにバイクを停めて、そこから藪の中へと分け入って行く。
「さて、それじゃあ今夜はここで一泊します」と、Tの声。昼なお暗い森林の中である。
持参したビニールシートを屋根のように木々へと渡しながら、「こんな風光明媚な場所は滅多に無い」とか、「こんな素敵な場所なのに格安で泊まれるんです」などと、訳の分からない事ばかりを呟いている。
そこで、友人が画像を止める。「この辺りから注意深く音声を聞いてくれ」と注意し、もう一度再生をする。
「あぁ」と、誰かが声を漏らした。僕にも分かった。Tの喋る声に合わせて、誰かが相槌を打っているのだ。
しかもそれは女性の声で、あまり明確には聞こえないのだが、確かにTに何かを話し掛けているのである。
「そうですね。今夜のご馳走はどんなものが出て来るか、とても楽しみです」と、Tは笑う。同時に、女性もそれにつられて笑い出す。だが、映像にその女性の姿は一切出て来ない。Tは時々画面の端には映るのだが、女性はただひたすら声ばかりで、全く姿を現わさないのだ。
「おかしいよな、Tはバイクでここまで来たんだし、途中までは女の気配すらさせていなかったのに」と、友人。確かにそうなのだ。その女はまるで、この藪に入り込んだ辺りから突然に現れたかのように、話し始めている。
「じゃあ、そろそろ寝ます」と、T。缶詰ばかりの夕食を終え、草木を掻き分けて敷いた寝袋に潜り込む。動画は唐突にそこで終わっていた。
後日、皆でTに詰め寄った。あの女性は一体誰なのだと。するとTは照れたかのように、「彼女に決まってるじゃん」と笑う。だがそのTの目は赤く充血し、顔色もとても悪いのだ。
しばらくして、Tが大学に来なくなった。同時に例の動画も削除された。
だが、それをダウンロードしていた友人がいて、「おかしな箇所がある」と、再び皆を呼び付けた。
それは皆で飛ばした冒頭の二十分の中にあった。Tが走行中に横を向き、店のショーウィンドウにそのバイクの全容が映り込む。当たり前のようにバイクはT一人だけが乗っており、後部座席は詰んだ荷物で一杯だった。
だがそれから少しして、信号待ちでTの真横に車が停まる。車の後部座席には女性の横顔。だがその顔は車の中の人のものなのか、それとも外側――Tの真後ろ辺りのものが反射で写り込んだものなのかが、まるで判別出来ないのだ。
次のシーンで、誰もが悲鳴を上げた。Tが走行中に下を向くシーンで、彼の腹部に背後から腕を回す白い女性の手が映り込んでいた。
その後のTの安否は、全く確認出来ていない。
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