#422 『言っても誰も信じてくれないだろうけど』
言っても誰も信じてくれないだろうけど、私はある夜を境に家族全員を失った。
いや、もっと正確に言うならば、私を除いた家族全員が、“他人”と入れ替わってしまったとでも言えば良いのだろうか。
ある日の学校の帰り、自宅の門の前で嗚咽をあげながら泣いている女性の姿があった。
声を掛ければそれはまるで見た事もない老婆で、私の顔を確認するなりしがみついて来て、「お願いだから逃げて」と言うのである。
「夜が来る前に逃げて。出来れば家族全員。もしそれが無理なら、あなただけでも逃げて。そして絶対に明日の朝まで帰って来ないで」
最初は頭がおかしい人なのだと思った。私はその人を振り払い、家の中へと駆け込んだ。
二階の自室から外を見れば、もう既にその老婆の姿は無い。あぁ良かったと胸を撫で下ろしたが、時間が経つにつれて先程の言葉がやけに重くのしかかって来る。
「ねぇ、今夜、外食しない?」と、台所に立つ母に声を掛ける。
「馬鹿言ってんじゃないわよ、今お母さん、晩ご飯作ってるでしょ!」と、怒鳴られる。
今度は、帰って来た父に向かって、「新しく出来た健康ランド行こうよ。出来れば泊まり掛けで」と誘ってみるも、「何を馬鹿な事言ってんだ」と、やけに疲れた声で返される。
夕食は、なかなかにして落ち着かないものだった。姉はずっと携帯電話をいじっており、妹はテレビに釘付け。父と母は私のせいで不機嫌になり、とてもじゃないが外泊しようなどと言える雰囲気では無かった。
“夜が来る前に逃げて”とは言われたが、もう既に夜だった。何故か私はいても立ってもいられず、「ちょっと友達の家に行って来る」と、財布だけを持ち家を飛び出した。
「今、何時だと思ってるの!?」と、背中に浴びせられた母の怒鳴り声が、最後の言葉だったように思える。家を出て、あてどもなく夜の道を歩いていると、妙に激しい後悔に駆られて涙がとめどなく溢れ出た。何故か、“誰も助けられなかった”と言う想いで一杯だった。
その晩は公園で一夜を過ごし、翌朝、家へと帰った。
家族は全員いた。但し、誰もが違う人だった。
姿形は同じだが、中身が違っていた。無断外泊をした私を、母は責めるどころか「おはよう」と優しく笑い掛け、朝食の準備をしてくれるのだ。
休日の朝だと言うのに、何故か父も姉も早くから起き出し、妹はテレビも点けないまま椅子へと座る。あまり見る事のない、家族全員が揃う土曜日の朝の食卓であった。
その日以来、家族全員、趣味も好みも変わってしまっていた。特に気味の悪いのが、余暇の時間だ。誰も自室へと引き上げる事をせず、全員がリビングのソファー周りに集まり、無言のままそこに座り続ける。そんな光景が毎日のように見られるようになったのだ。
私は極度のストレスで慢性的な下痢と嘔吐が続き、ある日とうとう耐えられなくなって、「一人暮らしをしたい」と申し出ると、それはまるで誰からの反対もなく許可された。
以降、私は一人でアパートに暮らし、高校はそこから通った。
あれから私は、ただの一度も実家には帰っていない。それでも家からの入金は全く滞り無く、そのおかげでちゃんと生活は出来ているのだ。
なんとなくだが、取り代わる前の私の家族は、今もどこかで生きているような気がする。
だが、その行方を知る術はまるで無い。
言っても誰も信じてくれないだろう、そんな話である。
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