#420 『本の迷路』
夫が亡くなって少しした頃から、奇妙な夢を見るようになった。
それはさながらどこかの図書館のようで、背を伸ばしても一番上の段には指先すらも届かないであろう程に高い棚が両脇に並び、通路はくねくねと迷路のように、縦横無尽に伸びている。
私はその中で、一冊の本を探している。但しそれがどんな本なのか、題名すらも分からない一冊の本を、あてどもなく延々と探しているのだ。
しかもそれはやけに切迫した状況のようで、一冊取ってページをめくり、そしてまた次の本へと手を伸ばす。まるで何かに追われているかのようにして、焦りながらその目的の本を探し回る。
目が覚めれば、全身ひどい寝汗である。心臓は高鳴り、呼吸も荒い。そんな状況がほぼ毎日、続いているのだ。
夢判断では、本を探す夢は吉兆との事だが、私にとっては大凶そのものである。このまま寝ながらのストレスが続くと言うのならば、きっと精神か身体のどちらかが壊れる予感はあった。
「それ、実際に家の中の本を探してみるべきじゃないかな」と、友人の貴子は言う。
私はその言葉を信じ、家中の本を漁る事にしたのだが、実際は本の類など亡くなった夫の部屋にしか無い。掃除以外では滅多に立ち入る事をしない部屋だったが、確かにその部屋には本が多かった。
窓際以外は全て本棚で覆われた部屋。私はざっとそれを見回して、ふと一点で視線を止めた。何故か、とある一冊の本がやけに気になったのである。
そっと本を抜き出す。不自然なページの隙間を見付ける。そこからは、夫が写る写真が出て来た。しかもそれは見覚えの無い女性が一緒に写っており、どう見ても事後の姿だろう、薄暗い部屋で二人ともにバスローブを羽織っただけの軽装なのだ。
あぁ、なるほど。この写真が見付かるのを恐れていたのねと、私は察する。
生きていたならば血相変えて問い詰めただろうが、もう既に亡くなってしまっている人の事である。「浮気の一回や二回、許してあげるわよ」と、写真は元の場所に挟んで、本を戻した。
もうこれで例の夢は見ないだろうと安堵して眠りに就くも、次の夢はもっと酷く、同じ図書の迷路の中で、写真に写る見知らぬ女に追い掛け回されると言う状況が加わった。
「それは酷いわね」と、貴子。「いいわ、私も一緒に見てあげる」と、彼女も家に来る事になった。
さて、問題の写真を貴子に見せようと本を探すが、昨日しまった位置にそれが無い。探し回った挙げ句、それは反対側の棚の間から見付かった。
「記憶違いしてるんじゃない?」と貴子は笑いページをめくるが、今度は例の写真が見付からない。
「あんたちょっと寝なさい。とても疲れてる顔してるわ」と、貴子は一人でそれを探すと言う。私はそれに甘えて寝室へと向かうが、同じ屋根の下に人がいると言う安心感からか、不覚にも私は翌朝までぐっすりと眠りこけてしまったのだ。
恐る恐ると部屋へと向かえば、貴子はまだそこにいた。充血した目で床に置いたビニール袋を蹴飛ばすと、「これが原因よね」と、皮肉めいた顔で笑う。中を覗けば、それは乱雑に放られた写真の山だった。
写真は、至る本の中から見付かったそうである。しかもその写真のどれもが違う女との情事のもので、つまりはこの本の群れは、その手の写真を隠すためのものだったらしい。
「あんたは見ない方がいい」と、貴子はその写真の山を持ち帰って行ってしまった。
さて、それ以降、例の夢は見なくなったかと言うとそうでもない。但し状況は少し変わっていて、私は本棚の陰から、必死で本を探す貴子の姿を見ていると言う夢に取り変わったのである。
なんとなくだが――彼女が持ち帰った写真の中には、貴子自身が写っているものが含まれているような気がしてならないのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます