#413 『気配だけの客』
家の近所に、穴場のサウナ風呂の店がある。
繁華街の裏通りに面しているのだが、これがいつも空いていて、自分一人の貸し切り状態である事も珍しくは無いのである。
料金も安いだけあって、俺は週に三度か四度のペースで通い詰めている。酒もギャンブルもしない自分への、唯一のご褒美みたいなものだ。
ただ、少々不可解な事はあった。目を瞑り、熱さに耐えながらサウナに入っていると、時折誰かがドアを開けて入って来る気配がある。だが目を開けて確認をすると誰もいない。そんな事が頻繁にあったのだ。
気配は、ドアを開ける音だけではない。黙って目を瞑っていると、室内を歩き回る音や、腰掛ける音。そして驚いた事に、熱さに耐えかねて思わず吐き出す溜め息のようなものまで聞こえて来る事がある。だが俺が目を開ければ音は止む。そして室内にはやはり誰の姿も無いのである。
ある日の事、いつものように室内で大汗をかいていると、いつもの通りにドアを開ける何者かの気配を感じた。
その何者かはこちらへと歩いて来て、俺の座るすぐ近くに腰を下ろす。そしていつも通りに溜め息を吐き出し、熱さを堪えている様子だった。
俺はそこで、ちょっとした好奇心が湧いた。もしもこのまま俺が目を開けず、ずっとこの熱さを我慢していたらどうなるのだろうと。
俺自身、そんなに我慢強い方ではない。だが今回ばかりは頑張ってみようと目を瞑ったまま堪えていると、ようやくその気配の主は根負けしたかのように室内から出て行った音がした。
「勝った」と思った。だが俺はその後の冷水プールで倒れ込み、救急車を呼ばれる羽目となってしまった。
結局、勝負はその一回きりで終わりとなった。それ以降、音の主が現れる事は無くなったのである。
それから半月後、急に店は繁盛し始め、前のような閑散とした穴場では無くなってしまった。
どう言う変わりようだと思っていると、どうやらそのサウナは「出る」と言うので有名な場所だったらしく、それが急に出なくなったと言うので、昔の常連客が戻って来たと言う訳である。
今にして思えば、あんな馬鹿みたいな我慢をしてまで、気配の主を追い出すべきではなかったと後悔している。少なくとも、俺にとっては恰好のサウナ仲間であった筈なのだから。
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