#410 『伊豆の迷い子』
筆者の、義理の妹から聞いた話である。
――私が十数年前に、家族で伊豆へと旅行に出掛けた際の話である。
夫の運転する車で、六時間も掛けようやく現地へと辿り着いた。すぐに旅館の受け付けを済まし、夜まで部屋でのんびりするつもりだった。
だが、閉めきったままのカーテンを開ければ、その真向かいは既に使われなくなって久しいであろう廃旅館で、私はそれを見た瞬間に、得も言われぬ怖気を感じた。瞬間、“誰か”に、見付かったような気がしたのである。
その視線は、どこにいても感じられた。離れの露天風呂へと向かう際。もしくは子供達と一緒に近くの浜辺へと向かう際など、とにかくその廃旅館が見える場所では常に“誰か”に見つめられている感覚があったのだ。
翌日、旅館を出る際にはようやく安堵したものだったが、宿を出てすぐに車がトンネルの中へと差し掛かると、突然車体に激しく、“何者か”がぶつかるかのような音と衝撃が伝わって来た。
急ブレーキで車を停める。夫が慌てて車外へと飛び出した瞬間、ぞろりと車内の空気が変わるのを感じた。
「乗って来た」と、私は一瞬で理解した。
車には異常が無かったようだが、車の内部は確実に一変していた。私同様、少しだけそんな異変を感じ取れる娘は、私と同じように固まったままだった。
次の目的地へと向かう道中、街道沿いにかなり大きな神社があった。私は無理を言ってそこの神社に立ち寄る事にし、家族全員でその大鳥居をくぐる頃には、あの奇妙な感覚が消えて無くなっていた。
残りの時間はとても楽しく快適な旅ではあったのだが、二泊三日の旅行を終えて自宅へと辿り着き、居間で夫と一緒にビールを飲み始めた瞬間、途端にどこか遠くで、例の視線に見つめられるような感覚があったのだ。
見付かった! 私は慌てた。だが、見付かった原因が分からない。あれこれと考えるのだが、どれも怪しく、どれも全て原因のような気がする。
翌日、全員の荷物や着替えなどを丁寧に探って行った。だが、「これのせいだ」と言い切れるようなものがまるで見付からない。
二日経ち、三日経ち、日増しにその視線と存在が濃厚になって来る。どうにもその“何者か”が、我が家に向かって来ているような気がしてならないのだ。
その日の夕方、長男が家へと帰って来て、ランドセルを背負ったまま私の横を通り過ぎる。その瞬間、ぞくりと嫌なものを感じた。
見ればそのランドセルにぶら下がる、見覚えの無いキーホルダー。私は長男を呼び止め、「これは何?」と問い詰めると、「旅館の売店でもらった」と、そう言うのだ。
だが、そのキーホルダーに掘られた名前は泊まった宿の名前では無い。途端に、隣に建つ例の廃旅館の事を思い出す。私はすぐにそのキーホルダーを取り上げ、自転車に飛び乗り近くの神社へと走った。
すぐに禰宜さんに事情を説明し、それを奉納する。ようやくこれで全て終わったと安心しながら家へと帰れば、夫が既に帰宅しており、テレビを観ながら晩酌をしていた。
その時、私は見てしまった。夫の携帯電話にぶら下がる“もう一つのキーホルダー”を。
「ドン!」と、玄関のドアが鳴る。部屋のどこからか、「お待たせしました」と声が聞こえた。
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