#404 『存在しておりません』
友人のN子と一緒に、某県まで観光旅行に出掛けた際の事。
泊まった旅館が、少々不気味な所だった。
通された部屋はなかなかに広くて綺麗ではあったのだが、妙に落ち着かない。特にN子はほんのちょっと“感じる系”の子だったので、部屋に入るなり、「あの床の間が気持ち悪い」とまで言っていた。
だが、出て来た食事はなかなかに美味しかったし、中庭の通路を通って向かう離れの露天風呂も素晴らしいものだった。
その晩は、少々ビールを飲み過ぎての就寝だった。N子がどうしてもと言うので、足下辺りに小型のランプを灯したまま眠りに就いた。
眠りに落ちてすぐの頃、ザッ、ザッ、ザッと言う、“何かを擦る”ような物音で目が覚める。見ればN子もその音で目が覚めた様子で、「今の何?」と聞いて来た。
部屋の中で変わった様子はまるで無い。お互いに気のせいだと言う事にして再び目を閉じたのだが、今度は眠りに落ちる前にその音が聞こえて来た。
そして私は見た。床の間に飾られている風景画の掛け軸が吊り下がったまま揺れているのだ。
N子もそれを見たらしい、「今の何?」と起き上がり、床の間まで行く。そして同じようにして掛け軸を揺らそうと試みるも上手く行かない。
「結構重いよ」と、N子。遅い時間で少々気が引けたが、私は内線電話を入れて宿の人に事情を説明する事にした。
するとすぐに中年の女性が部屋へとやって来て、「あらまぁ、またここに来てる」と、その掛け軸を取り外してしまったのだ。
「お気になさらねば良いのに」と、その女性は掛け軸を丸めて部屋を出て行く。そして一応は原因が取り除かれた訳なので、私達は再び布団へと潜り込んだ。だがまた少しして、床の間から“何か”が聞こえて来る。しかも今度は人の声だ。
「ご乗船中の皆様。間もなく接岸致しますので、手摺りにつかまるかお席にお戻りくださいませ」
二人で同時に床の間を見た。そこにはこちらに背を向けて立っている女性の姿があった。
今度はさすがに悲鳴を上げた。N子は照明に飛び付き、私は内線電話の受話器を取る。そうして来てくれた男性従業員に、今しがたの出来事を話す。
「どう見ても、さっき来てくれた女性の方の後ろ姿なんです」と私が説明すると、その男性は、「そのような者はこの宿に存在しておりません」と言うのだ。
今度は部屋の灯りを点けたまま寝た。だが、目を瞑るだけで眠気は来そうにない。どうしようかとかぶった布団の隙間からN子と目を合わせていると、またしても床の間から「ご乗船ありがとうございました。本土、到着致します」と、声が聞こえた。見れば今度は先程来た男性従業員の後ろ姿で、今度こそ私達は部屋を飛び出した。
明け方近く、宿の方々に事情を聞いた所、誰もが「今までそんな事が起こった試しがない」と首を傾げる。だが一人、そこの娘さんが、「それって以前のオーナー夫妻じゃない?」と漏らしたのだ。私達が語るその二人の容姿を聞く限り、どうしてもその二人が頭をよぎるのだと言う。
「そういやあの二人って、どこかの離島に向かったんじゃなかったっけ?」と、主人が言う。
実際、宿の周辺には海どころか湖すらも無い。
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