#399 『峠の公衆電話』
彼氏の車で遠出し、二泊三日のノープラン旅行へと出掛けた時の事だ。
向かった先で“××荘”と言う、かなり古ぼけた宿の看板を見掛けた。助手席にいた私はすぐにその看板の番号をメモし、公衆電話から宿の予約は出来ないかを問い合わせた。
運良く部屋は空いていた。少し早めに向かおうと宿の方向へと車を向けたが、なかなかその宿が見付からない。
「もしかしてこの辺りかな?」と、開いた地図帳で彼が指差したのは、とある峠道だった。
一応はここも探してみるかと山へと分け入る細い道へと向かったのだが、そこは恐ろしいぐらいにくねくねと曲がりくねった、急勾配の道だった。
峠の頂上付近で、ぽつんと佇む公衆電話のボックスを見付けた。すぐにそこから連絡して道順を教えてもらおうとなったのだが、そこの電話ボックスには既に一人の男性が入っており、受話器を片手にこちらに背を向けて立っていたのだ。
「どうしようか?」
「待っていよう、きっとすぐ済む」
言って、車のエンジンを掛けっぱなしのまま待っていたのだが、茶色のジャンパーを羽織ったその男性は、十分経っても二十分経っても出て来る気配が無い。
「ちょっと行ってみて来る」と、彼氏が車を降りる。喧嘩にならなきゃいいけどと不安に思っていると、彼氏とその男性は何か話をするでもなく入れ替わり、彼氏はそのまま落ちた受話器を拾い上げ、耳に当てている。そしてそれに代わってボックスから出て来た茶色のジャンパーの男性は、私の方に背を向けたまま車の方向へと歩いて来たのだ。
一瞬で、“おかしい”と気が付いた。私は滑り込むようにして運転席へと移動し、彼氏を置いたまま車を走らせる。
峠道を下り、麓の集落で農作業をしている男性を見付け、助けを請うた。そして峠の上で起きた一部始終を話すと、男性は首を傾げながらも「行ってみよう」と、私と運転を代わって峠の上へと車を走らせてくれた。
峠の頂上では、相変わらず彼氏が電話ボックスの中で受話器を耳に当てている。例の茶色のジャンパーの男性はどこにもいない。
運転席の野良着の男性はクラクションを鳴らすも、彼氏はまるでこちらへと振り向く事をせず、背を向けたまま立っている。
「ちょっと待ってて」と野良着の男性は車を降り、電話ボックスへと向かうのだが、またしてもその男性は彼氏と入れ替わるようにして中へと入り込み、彼氏はようやく呪縛から解き放たれたかのようにして、慌てて車へと舞い戻る。
「逃げよう」と、彼氏は車に飛び乗り、走らせる。私は慌てて、助けてくれた男性を置いて行けないと彼氏を止めるのだが、彼氏は急ブレーキを踏んだ後、「助けようか?」と、背後を振り向いた。
私も釣られて振り返れば、電話ボックスに入っていたのは私達が最初に見掛けたあの茶色のジャンパーを着た男性の後ろ姿で、農作業をしていた男性の姿はどこにも無い。
麓へと降りれば、私が助けを求めた野良着の男性のいた辺りに、探していた宿があった。
私達は何も話し合わないまま、その宿を通り過ぎた。
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