#393 『後生だから』

 私が小学生だった頃の話だ。

 実家は古いがかなりの大きな家で、場所によっては三階部分もあると言う、縦にも広い家だった。

 家族構成は、私の姉が二人いて、そして両親と祖父母と言う総勢七人。それでも全ての部屋が使い切れないと言う程だったので、相当な部屋数だったと思う。

 ある日の事だ。家に帰り、部屋にランドセルを置いた後、特に意味も無く三階へと向かった。

 三階には三つ部屋があるのだが、その内の一つが“花火の間”と呼ばれている部屋で、そこの南側の雨戸を全て取り外せば夏の花火大会の際には絶景が見られると言う、そんな部屋だった。

 からりとその花火の間の襖を開け、照明を点ける。すると私はそこに、妙なものを見付けてしまった。それは天井の一画から滝のようにこぼれ落ちる黒い液体。天井の羽目板の隙間から、帯状になって床へと滴っているのだが、何故かその床である畳の上には染み一つ無く、黒い液状のものは畳へと落ちた瞬間に消えて無くなってしまうのだ。

 私はすぐに姉達を呼び付けた。だが姉達にはそれが見えていないらしく、目の前まで連れて行っても、「どこによ?」と辺りを見回すだけ。

 次に両親を連れて行くもやはり結果は同じ。まるで私が馬鹿のようにさえ言われた。

 しかし、祖父だけには私同様それが見えるらしく、「ありゃあ、これはなんだろう」と天井を見上げたのだ。

 祖父はそっとその黒い液状のものに手を伸ばす。するとそれは液体ではなく、煙かとても細かい粉状のものらしく、祖父の手の上でふわりと舞い上がって溶けて消えたのだ。

「こりゃいかん、なんかとんでもないものが降って来てるぞ」と、その煙のようなものに触れた祖父は、ぶるりと身体を震わせる。

 そして祖父はどこからか脚立を持って来ると、その部屋の天井の羽目板を外し、そこから顔を突っ込んだ。そして煙の流れ出る辺りを懐中電灯で照らしながら、「婆さんがおるわ」と言うのだ。

 私はそれを聞き、「おばあちゃん?」と、亡くなった祖母を思い浮かべるが、「どっかの知らんババァだ」と、祖父は言う。どうやら祖父の話では、その天井裏に正座で座る老婆がいて、前屈みな姿勢であの黒い煙を目から口から、鼻からと垂れ流しているのだそうな。

「お前は絶対に見ちゃいけない。いいな?」言って祖父はどこかへと出掛けて行った。

 それから三日経ち、祖父は例の花火の間に、私を呼び付ける。その三日の間に色んな神社仏閣を訪ねて来たのだろう、手には大量のお札(ふだ)が握られていた。

 祖父はそれを持って再び天井裏へと向かう。やがて天井からこぼれ落ちる煙が消えた後、祖父は「当分は大丈夫だろう」と降りて来た。

 そして祖父は、「俺はもう間もなく死ぬな」と笑い、「お前は絶対にこの上には登るなよ」と厳しくそう言った。

 だが結局、祖父はそれから八年生きた。死因も庭の手入れ中にぽっくりと逝ったのだから、充分に大往生だっただろうと思う。だがそれまでに祖父は何度も私に、「あの天井裏だけは覗くな」ときつく言い、「後生だからな」と、言い残して逝ったのだ。

 そして長い月日が経ち、私がそろそろ大学を卒業しようと言う頃。何故か気になり例の花火部屋の襖を開ける。するとその天井からはいつぞやと同じように羽目板の隙間からこぼれ落ちる黒い煙があった。

 よせばいいのに、私は一人、脚立を持ち出しその天井の一画を押し上げた。

 バリバリと何かが剥がれる音がして、羽目板が持ち上がる。そして私はそこに、天井裏の方から貼り付けられた大量のお札を見付けてしまう。

 何事だろうと懐中電灯を向け、煙の染み出る辺りを照らして見れば、そこには亡くなった筈の祖父が正座をし、前屈みな姿勢で、目から鼻から、そして口からと、黒い煙を垂れ流していたのだ。

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