#390 『真夜中の出来事・弐 停まる』

 真夜中の通勤途中に遭遇した奇妙な出来事。その二夜目。

 ――仕事柄、私の帰宅は深夜の二時か三時となる。通勤はもっぱら自転車で、人が寝静まった静寂な街を、毎夜、爽快に駆け抜けるのである。

 ある晩の事。とある住宅街の一角で、停車中の車のテールランプが見えた。近付いてみるとそれはタクシーのようで、運転手は車を降りて車の周りをうろうろと歩いている。

 その運転手は、遠くから来る私の存在に気付いた様子で、手を振りながら“停まってくれ”と合図をしていた。

「どうかしたんですか?」と、自転車を降りて聞けば、その恰幅の良いオジさんは、「この辺りの方ですか?」と私に聞き返すのだ。

 そうではない事を告げると、そのオジさんは困った顔をして、「今降ろした客が戻って来ないんですよ」と言う。その家は、車が停まっている真ん前にある家で、カーブに差し掛かる手前の、少々高台にある一軒家だった。どうやら、お金を持って戻って来ると言って、そのまま帰って来ないらしい。

「本当にこの家なんですか?」聞けばオジさんは、「間違いなくこの家でした」と言い張る。なにしろ門を開け、玄関を開けて中に入って行く様子を車の中からずっと見ていたと言うのだ。

 だが、そう言いながらも、まるで自分自身が疑わしいかのように首を振る。なにしろその家の門扉にはチェーンが巻かれ、南京錠がぶら下がっている。しかもその先にある玄関には黄色と黒のトラロープが渡されていて、完全に侵入者を拒んでいるのだ。

「これは……諦めた方がいいような気がします」と私が言うと、「そうですよね」とそのオジさんは肩を落とし、車へと乗り込んで行った。

 それから一ヶ月後。またしても深夜の帰宅時に、同じ場所で停まっているタクシーの姿を見掛けた。どうやら前回とは違う運転手さんのようだ。

 私は積極的に自転車を停めて歩み寄り、「ここの家の住人を待っているんですか?」と、話し掛ける。「そうだ」と頷く運転手に、前回ここで起こった出来事について説明すると、おそらくは噂で聞いていたのだろう、「この家がそうか」と顔を引き攣らせ、帰って行った。

 ある晩の事、帰宅中の私の横を一台のタクシーが追い抜いて行った。タクシーは例のカーブ手前の家の前で停まった。私は自転車を停め、遠巻きにその様子を見ていた。

 後部座席のドアが開く。だが誰もそこから降りて来る様子が無い。私は少々面倒になって、今夜は別のルートで帰ろうとハンドルを握り直した。

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